エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
隧道探険隊
山行がの歴史に欠くことの出来ない1ページを刻んだ笹立隧道。 2003年の2月初頭、善法寺側から雪の山道を... 山行がの歴史に欠くことの出来ない1ページを刻んだ笹立隧道。 2003年の2月初頭、善法寺側から雪の山道を辿り隧道に至り、そこで自身の限界と戦いながら、閉塞寸前となったおおよそ200mの洞内を、潜り抜けた。 その模様は、隧道レポートに認められているから、古い読者ならばご存じの方も多かろう。 しかし、今当時のレポートを改めて読み直してみると、誠に恥ずかしい部分が多い。 それは、文章の拙さや大仰な表現といった部分だけではなくて、むしろ、あの頃の現実そのものであった、装備の未熟さによるところが大きい。 そこがまた、必要以上に、私に苦痛と、恐怖感を強いていたのだろうし、穿った見方をすれば、そこが、レポートとして評判が良かった理由かも知れない。 話がそれた。 私は、あれから3年あまりを経た2005年の6月1日に、再訪した。 そして、隧道自体については、難なく通り抜けることも出来た。 一度は通り抜けてい
2010/06/02 リンク