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町石道の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 世界遺産 高野山町石道(ちょういしみち)

    高野山麓の九度山から金剛峯寺の根本大塔へと通じる町石道(ちょういしみち)。 その傍らに立ち並ぶ180基の石柱(町石)は、いにしえから多くの人々を聖域へと導いてきました。世界遺産にも登録されている歴史ある高野参詣道のひとつです。 静寂、祈り、そして光。空海はこの先に何を見たのだろう。 1200年間、歩みを止めない道がここにあります。 聖域へと導く町石 町石とは、弘法大師空海が建てた卒塔婆に由来する五輪塔形の石柱で、ひとつひとつに根本大塔を起点とした数字と仏尊を 表す梵字が刻まれています。高野巡礼の人々は一町ごとに合掌して高野山への歩みを進めたと伝えられています。 慈尊院から根本大塔まで合計180基の町石が一町(=約109メートル)ごとに道標のように置かれています。

    • 丹生官省符神社から高野山町石道へ - 自由悠遊

      つづき 丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社は慈尊院同様、816年に弘法大師によって創建され、官省符荘(国の干渉を受けない特権と納税不要の特権を持った荘園)の総社として栄えた。 慈尊院境内の石段を上がった先に、丹生官省符神社の二ノ鳥居。 正面に見えるのは拝殿、奥に国重文の本殿が鎮座する。 道標に従って、拝殿の右奥につづく町石道を進む。 この写真は172町石と竹林。 道が曲がりくねりはじめると、次第に坂が急になり、柿畑の中の急坂をぐんぐん登っていくと、展望が開けてくる。 落葉済みの柿の木越しに、紀ノ川平野が一望♪ ※九度山町は柿の生産量日本一の町。 なぜ12月中旬という日の短い時期に高野山町石道を歩こうと思ったか、それは柿の木の葉が茂ってないほうが展望が良いと思ったから。 さらに、できれば柿の実は少し残っていて、柿と風景のコラボ写真が撮れたら、という狙いもあった。 狙い的中~^^v 丹生官省符

        丹生官省符神社から高野山町石道へ - 自由悠遊
      • 町石道(九度山からを高野山奥の院) - おまけの会社員生活《ハケンの品格》

        九度山駅から町石道(ちょういしみち)を通って、高野山奥の院まで歩く。 途中、世界遺産の丹生都比賣神社、慈尊院に立ち寄る。 距離25km、6時間、上り(累積)2,188m! YAMAPで記録を取り出してからは最長距離。 なお、YAMAP標準時間では9時間である。 もともと、昨日行く予定だったが、天気予報が雨だったので延期した。 朝5時過ぎに起きて、天気予報を確認して出かける。 08:00 九度山駅 出発 08:15 善名称院(真田庵) 08:30 慈尊院 10:00 丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ) 11:00 百町の町石 13:15 大門 13:30 壇上伽藍 14:00 奥の院 14:50 高野山ケーブルカー 08:00 九度山駅 出発 08:15 善名称院(真田庵) 真田昌幸(真田幸村の父)の墓がある。 関ケ原合戦の後、家康から高野山で謹慎を命じられ慶長5年(1600)に高野山に登

          町石道(九度山からを高野山奥の院) - おまけの会社員生活《ハケンの品格》
        • わかやま新報 » Blog Archive » 世界遺産を無断で掘削 町石道の12カ所

          世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成し、国史跡となっている高野山への参詣道「町石道(ちょういしみち)」の和歌山県かつらぎ町内の一部で、無断で掘削や盛土がされているのが見つかり、町は18日、文化財保護法違反容疑で県北部在住の80代男性を刑事告発した。 町石道は、九度山町の慈尊院から高野山奥之院へとつながる全長約24㌔の参詣道。昔の距離の単位「1町(約109㍍)」ごとに「町石」と呼ばれる216基の石塔が設置され、町石の数字を見ることで、おおよその場所が分かるようになっている。 歴史は9世紀にさかのぼると考えられ、11世紀には町数を記した木製の卒塔婆が建っていたことが分かっている。 町教育委員会によると、町石道を通った人から5月21日、「一部が毀損(きそん)されている」との通報が町にあり、調査したところ、町内にある121町石から141町石までの約2㌔の区間の計12カ所で、無断の掘削や盛土が見

          • 丹生官省符神社(高野山町石道)-お寺の領土を神様が守る?-

            石造鳥居と第百八十町石 高野山町石道は、慈尊院境内の西側にある石段から始まります。ここから丹生官省符神社と勝利寺、紙遊苑に寄りながら、山道を登っていきます。 「丹生官省符神社」の石碑が立つ石段の途中には、石造りの鳥居が立っています。もともとは別の氏神の鳥居でしたが、氏神が丹生官省符神社に合祀されたため、大正10年にここに移設されました。 丹生官省符神社 そのすぐ右手には、最初の町石が立っています。慈尊院から壇上伽藍までの間には180の町石があり、壇上伽藍に近い方から番号がつけられているので、この町石は「第百八十町石」となります。 丹生官省符神社の広域地図目次 丹生官省符神社の成り立ち 石段を登り切ると、今度は赤い鳥居をくぐります。広場の向こうに、丹生官省符神社の社殿三棟が建っています。 丹生官省符神社は、空海が高野政所(慈尊院)の守り神として創建した神社です。 「官省符(かんしょうふ)」と

              丹生官省符神社(高野山町石道)-お寺の領土を神様が守る?-
            • 高野山町石道を歩いてきました! - TH69のときど記ログ

              TH69です。 土曜日は嫁ハンと高野山町石道で大門まで往復ハイキングしてきました。 丹生都比売神社の駐車場に車を置いて、8時過ぎ頃に出発しました。 丹生都比売神社は紀ノ川からひと山越えた天野の里にあります。 町石道の六本杉を目指して登り始めます。 いい天気になり、日差しが眩しいです。 葉裏シリーズ(笑)の「朴の木」 六本杉に到着です。ここで慈尊院からの町石道に合流します。左が慈尊院、右が大門です。 地図の赤い線が町石道です。 鳥居が二つ並んでいる「二つ鳥居」です。 二つ鳥居から長閑な天野の里の展望。 さあ行こう!と思って歩き出すと、いきなり通行止め!(汗)。一応、迂回路はあるようなので、そちらへ向かいます。って、結局神社の近くまで下ろされたわ(涙)。 画像地図にある通り「二つ鳥居」から「神田地蔵堂」までが通行できません。 二つ鳥居から案内板の指示に従い、一旦天野の里まで降り「紀伊高原ゴルフ

                高野山町石道を歩いてきました! - TH69のときど記ログ
              • 勝利寺(高野山町石道)-空海の厄除け寺-

                丹生官省符神社のすぐ近くには、空海が厄除けのために建てた「勝利寺」と、空海が製法を伝えたという「高野紙」の資料館、「紙遊苑」があります。 目次 「高野山開創前の寺」勝利寺 丹生官省符神社のすぐ先、右手にある急な石段を登ると、勝利寺と紙遊苑があります。 勝利寺 勝利寺は、空海が高野山を開創するよりも前に創建したと伝えられる寺院です。 空海は弘仁6年(815年)、42歳(数え年)の厄年に、厄除けのために十一面観音を奉納しました。嵯峨天皇から高野山を賜わったのは、その翌年のことです。 石段を登って行くと、古い仁王門が現れます。 仁王門は江戸時代中期、安永2年(1773年)の建築。中に鎮座する仁王像は延享元年(1744年)の作で、高野山奥の院の明遍杉を彫ったものと言われています。 仁王像の周りには沢山の草履が奉納されています。勝利寺は、慈尊院や丹生官省符神社が移転してくる以前から高野山町石道のスタ

                  勝利寺(高野山町石道)-空海の厄除け寺-
                • 高野山町石道 -1200年の歴史を持つ巡礼路の地図と解説-

                  高野山町石道(ちょういしみち)は、紀ノ川沿いの九度山・慈尊院から高野山の壇上伽藍、そして奥の院の弘法大師御廟を結ぶ、全長26キロメートルの参詣道です。 空海による高野山開創の時に設けられ、以来1200年にわたって高野山の表参道として歴史を刻んできました。 町石道を歩くモデルコースと主な見どころを、オリジナルの地図とともに詳しくご案内します。 目次 町石道とは 「町石道(ちょういしみち)」とは、1町(およそ109メートル)ごとに「町石」と呼ばれる道標を立てた参道のこと。現在では、「高野山町石道」と同じ意味で使われる言葉です。 「高野山町石道」は、空海が高野山を開創した当初からの表参道です。六本杉までの最初の区間は、平安時代には東側の三谷坂がメインルートでしたが、それでも月に9度、空海が母に会いに行くために歩いた道です。 高野山の中でも、空海が生きた時代の雰囲気を特によく伝えている貴重な遺構で

                    高野山町石道 -1200年の歴史を持つ巡礼路の地図と解説-
                  • 世界遺産に無断で溝、問われる保存 高野山「町石道」 町教委対応に注目 | 毎日新聞

                    世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ、「町石道(ちょういしみち)」の和歌山県かつらぎ町内の区間の一部で、無断で溝が掘られていたことが6月、発覚した。管理する同町が、溝を掘った県内の80代男性を文化財保護法違反容疑でかつらぎ署に告発している。事件を契機に、県教委や関係市町の担当者が集まり、復旧の方法や現場確認の方法について話し合っている。【藤原弘】

                      世界遺産に無断で溝、問われる保存 高野山「町石道」 町教委対応に注目 | 毎日新聞
                    • 復旧には長期間 和歌山・高野山「町石道」の無断掘削(1/2ページ)

                      高野山(和歌山県高野町)につながる世界遺産・国史跡の参詣道「町石道(ちょういしみち)」で、同県かつらぎ町内の一部が無断掘削された問題で、町教委と県教委は31日、復旧と再発防止に向けた会議を町内で開いた。被害の大きな場所では復旧に長期間かかる見通しが報告されたほか、復旧にはボランティアを募集して作業にあたり、現地付近に再発防止の看板を設置することなどが協議された。 会議には関係者約20人が出席。町教委の担当者は、文化庁とも協議した上で、無断掘削された場所の扱いについて「毀損(きそん)のため、元に戻すことが基本」と説明した。 ただ、埋め戻しなどをすれば短期間で復旧できる場所がある一方、大きな溝が掘られ、復旧に長期間かかる場所があることも報告された。 復旧に向けては、世界遺産の熊野古道で実践されている「道普請(みちぶしん)」のように、補修用の土で毀損部分を固める方法などが話し合われた。復旧に長期

                        復旧には長期間 和歌山・高野山「町石道」の無断掘削(1/2ページ)
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