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石橋湛山評論集の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • どサヨクから見た野党内閣 - はてなの鴨澤

    オレは生物学者であり、人間という生物をわりに外から眺めるクセがある。これが身体化しているために、コミュニティの中の自分の位置みたいなものには、まあ自然に気になってしまう部分はあるものの、本当には興味がない。 だから、オレにとっての「当たり前の考え方」とは、「日本人として当然」みたいな身体的なものではなく、「生物としての人間はこう感じ・考えるのが自然」という外形基準に近いものになる。 そのうえに、個人的に、知的生命体(≒霊長)として、まっとうに生きていきたい。という願望が加わる。生物としての人類のどのような歪みをどのような意識によって修正すればそれが可能であるか。ということに興味がある。人間のバイアスを見るのが大好きだ。 このように、「人間としての当たり前」を基準に考えて物を言う人間は、日本では「どサヨク」という扱いになる。 ところがオレは、経済学を学んだ市場原理主義者でもある。市場を心から

      どサヨクから見た野党内閣 - はてなの鴨澤
    • 石橋湛山 データ見抜く眼力、軍部にも占領軍にも屈せぬ胆力

      「植民地を放棄して世界を通商の舞台とすべし」。石橋湛山が唱えた小日本主義は、経済データに裏打ちされていた。明治末から第2次世界大戦中に、自由主義の論陣を張った湛山の胆力はすさまじい。藩閥勢力や軍部を批判し続け、戦後は蔵相として占領軍の政策に真っ向から異を唱えた。 終戦直後に「日本の前途は洋々」 「単に物質的の意味でない科学精神に徹底せよ。しからば即ちいかなる悪条件の下にも、更生日本の前途は洋々たるものあること必然だ」 1945年(昭和20年)8月25日号の『東洋経済新報』は「社論」にこんな一文を載せた。表題は、ずばり「更生日本の針路」。8月15日の玉音放送に日本中がぼうぜん自失となるなか、「前途は洋々たるもの」と言い切った人物こそ、石橋湛山(1884~1973年)その人である。 終戦の日の午後3時、彼は疎開先の秋田県横手で横手経済倶楽部の会員を前に講演した。連合国の対日方針を説明し、日本経

        石橋湛山 データ見抜く眼力、軍部にも占領軍にも屈せぬ胆力
      • 日本的陰惨さはいつ消えたのか - はてなの鴨澤

        戦前の日本のことを扱ったものを延々と読んでいる。「これは今もまったく変わらんなあ」と思うこともたくさんあるものの、「さすがにこれは無いわ、日本も文明化してるわ」と思えることも山ほどあるのは嬉しいことである。 たとえば、いまや、日本的陰惨さ、というものはフィクションの中にしか存在しない。些細なことをどこまでも詰めていきリンチに至るとか、毎晩延々と続く理不尽極まる制裁に耐えるとか、そうしたことに美しい存在が突然巻き込まれるとか、それらすべてが逃げられない関係の中で続くといった、江戸時代的な、昭和初期的な、赤紙招集的な、思想犯拷問的な、内ゲバ殺人的なものは、もしくは、樋口一葉的な、大杉栄的な、安徳天皇的な、鎌倉武士的な、局中法度的な、その他生々しすぎて書きたくないような時代の下った諸々的なものは、社会の表舞台から姿を消した。 これは、そうしたすべてが根絶されたと言っているのではない。現代には、少

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