加害者・勝田清孝は1972年から1983年まで約10年間にわたり凶悪犯罪を繰り返し、犯行方法も次第にエスカレートしていった。警察官を違法駐車で呼び出し、駆けつけた警察官を車で轢き、銃を盗むという過激な犯行にもおよび、1982年10月31日から翌日にかけてその拳銃で、高速道路のサービスエリアから強引にヒッチハイクして乗り込んだ車の運転手を射殺、この一連の犯行で警察庁は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定した。この取り調べの過程で、これ以外の7件の殺人事件を自供した[6]。 殺人については22件について疑われ、勝田本人も22人を殺害したと自供したものの、14件は確証がなかったため立件されず、勝田による殺人と断定された被害者は計8人(広域重要指定113号事件の1人+それ以前の事件による7人)のみである。また、勝田による犯行の多くは当初同一犯人による事件ではないと思われていた。 1994年に7