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近代の労働観の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • 今村仁司「近代の労働観」 - 備忘録

    近代の労働観 (岩波新書) 作者: 今村仁司出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1998/10/20メディア: 新書購入: 9人 クリック: 222回この商品を含むブログ (25件) を見る 今村仁司は、近代の労働観を古代のそれを転倒する形で生じたものとみる。 古代の労働観では、手仕事などの肉体的行為、職人的な、あるいは芸術家の制作までが格の低い行為とされ、モノを作ることではなく、モノを使うことが価値の高い、格の高い行為とみなされた。近代以前は、余暇の、自由時間の文明である。余暇による無為は、公共的世界(議会などの討論の場)を生み、その中で活動的に生きることが価値のあるものとされる。一方、労働は、宗教的、道徳的な評価によって支えられた。 しかし、近代の産業社会は、時間に服従して行動する「機械的身体」を必要とする。これを用意したのがプロテスタンティズムの職業倫理、そして強制的禁欲政策と救貧

    • Amazon.co.jp: 近代の労働観 (岩波新書 新赤版 584): 今村仁司: 本

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      • 意識の高い学士ブログ : 「近代の労働観」レポート

        2014年12月21日07:30 カテゴリ経済レポート 「近代の労働観」レポート 今村仁司『近代の労働観』を読んで衝撃を受けた。いま自分が考えていることを、やはり既に考えている人はいたのだ!という感動だった。普段、読んだ本の感想は思いついた時にTwitterに投稿するくらいなのだが、今回は内容を非常に簡潔に要約した上で感想を書いてみたい。 近代の労働観今村 仁司岩波書店1998-10-20 1.      近代的「労働」以前のアルカイックな労働経験 近代的な意味での労働が誕生したのは18世紀の産業革命以後である。それ以前の「労働」は、信仰と渾然一体であった。それは例えば、耕作と祈りが一連のプロセスとして同列にあったような状態である。 著者は古代ギリシアと現代のマエンゲ族の例を参照しながら、前近代では「労働」よりも「余暇」に高い価値が認められていたことを指摘する。では今、なぜ余暇よりも労働に

          意識の高い学士ブログ : 「近代の労働観」レポート
        • Amazon.co.jp: 脱近代の労働観: 人間にとって労働とは何か: 杉村芳美: 本

            Amazon.co.jp: 脱近代の労働観: 人間にとって労働とは何か: 杉村芳美: 本
          • 今村仁司『近代の労働観』、ロナルド・ドーア『働くということ──グローバル化と労働の新しい意味』 - ものろぎや・そりてえる

            今村仁司『近代の労働観』(岩波新書、1999年)は、「労働」は本当に人間の本質なのか? 「労働=生きがい」論の背景には、あくまでも「必要」としての「労働」を「本質」とすり替えることで管理のイデオロギーとなっているに過ぎないのではないか?という問いを発する。こうした問題意識をもとに展開された「労働」観の思想的系譜学である。 ・古代社会においては、自由人とは自ら目的を設定する者であり、その目的に奉仕して労働する人間は奴隷とされる階層秩序(この辺の議論はハンナ・アレント『人間の条件』にあった)。 ・ブルジョワ階層の場合は、マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が現世内禁欲倫理が内面化されて自発的な経営合理化の契機が現われたことを指摘。 ・下層労働者階層の場合は、国家・教会などの「怠惰は悪徳である」という考え方から強制労働(例えば、救貧院)や禁欲モラルが押し付けられ、法

              今村仁司『近代の労働観』、ロナルド・ドーア『働くということ──グローバル化と労働の新しい意味』 - ものろぎや・そりてえる
            • ラッコ on Twitter: "今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。"

              今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。

                ラッコ on Twitter: "今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。"
              • 『『ラッコ on Twitter: "今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。"』へのコメント』へのコメント

                この人はカネのためでも承認欲求のためでもなく、「労働に固有の喜び」のために働く人がいる(いる筈)と思っていらっしゃるのかしら よくわからない VSネッ広_常識

                  『『ラッコ on Twitter: "今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。"』へのコメント』へのコメント
                • 『ラッコ on Twitter: "今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。"』へのコメント

                  世の中 ラッコ on Twitter: "今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。"

                    『ラッコ on Twitter: "今村仁司『近代の労働観』(1998)。労働者の「働く喜び」についてのインタビューを、「結局は他人からの承認欲求でしょ」に全て解釈・着地させる。労働に固有の喜びは無い。えらい本を拾ってしまった。"』へのコメント
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