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長新太 ポスターの検索結果1 - 11 件 / 11件

  • 和田誠 - Wikipedia

    和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 - 2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。 家族[編集] 実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精[1]。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる[2]。 妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター[3]。率の妻は和田明日香。 人物[編集] 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる[4]。1943年(昭和18年)大阪市住吉区長池国民学校(現・大

      和田誠 - Wikipedia
    • カラーブックスの達人

      カラーブックス145「暮らしの色彩」 著(昭和43年初版、現在品切れ) 保育社カラーブックスシリーズの魅力をたっぷりとご紹介する「カラーブックスの達人」ブログ。第132回目の最終回は、彩(いろどり)鮮やかなカラーブックスをご紹介いたします。最終回は、今までご覧いただいた皆様に感謝感謝の一冊、『暮らしの色彩』です。 色、それは私にとってトラウマ以外の何物でもありませんでした。保育園に通っていた頃から、どんな絵を描いても茶色くなってしまうのです。自分で意識した事はありませんが、好きな色の絵の具を混ぜていると、なぜか茶色になってしまい、画面が濁って汚い色になってしまうのです。そのおかげで、小学生、中学生と、水彩絵の具で絵を描くことが嫌いで、自信を持って絵を描くことができなくなってしまったのです。そのトラウマを開放してくれたのが、高校時代の美術の先生でした。日本画の家元に生まれながら東京芸大の油絵

        カラーブックスの達人
      • 小島功 - Wikipedia

        小島 功(こじま こお[1]、1928年3月3日[1][2] - 2015年4月14日[5])は、日本の漫画家、イラストレーター。本名︰小島 功(こじま いさお)[1][5]。 「漫画界一の流麗な線描[7]」と評された画風を特徴とし、エロティックな女性が登場するマンガやイラストを数多く発表した。日本漫画家協会の設立に尽力し、常務理事、社団法人時代の理事長(第4代)、会長、公益社団法人時代の名誉会長を歴任した[2]。 経歴[編集] 生い立ち[編集] 東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)根岸[2]で、9人きょうだいの長男として生まれる[8]。生家は軍服や航空機のカバーの下請け生産工場を営んでいた[8]。家業の拡大のため、一家は小島が10歳のときに荒川区尾久へ移り[8]、小島は荒川区立尾久西小学校[2]へ転校した。担任教師が画家の大河内幸俊であった影響で絵に興味を持つ[2]。また、胸膜炎のた

          小島功 - Wikipedia
        • 岐阜 多治見モザイクタイルミュージアム - ぎふかいろ

          モザイクタイルに興味がでたのは、銭湯に行くようになったから、 さらさ西陣の見事なタイル。 sandonigifu.hatenadiary.jp この本を読んで、ますますモザイクタイルの虜に!! にっぽんのかわいいタイル 昭和レトロ・モザイクタイル篇 作者: 加藤郁美 出版社/メーカー: 国書刊行会 発売日: 2016/06/10 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (1件) を見る 多治見にモザイクタイルミュージアムが出来たと聞いていってみました! なんとも特徴的な建物。 藤森輝信氏のデザイン。陶土の原料山をイメージ。 @sandoni_0 タイル⁈ 長新太の絵本にでもでてきそう(笑)。— n00 (@like_a_rhino) 2016年11月27日 キャベツくんのにちようび (えほんのもり) 作者: 長新太 出版社/メーカー: 文研出版 発売日: 2004/02 メディア: 単行

            岐阜 多治見モザイクタイルミュージアム - ぎふかいろ
          • 「月刊てりとりぃ」オフィシャル・ブログ

            12月22日より、以下の都内各店舗にてフリーペーパー「月刊てりとりぃ」第34号の配布が始まります。 【配布場所】 ※店舗によって設置日が異なります。 古書ほうろう(千駄木) ディスクユニオン JazzTOKYO(東京都千代田区神田) ディスクユニオン神保町店 ディスクユニオン新宿ジャズ館 タワーレコード渋谷店5階 Bibliothèque(東京・千駄ヶ谷) LOVE SHOP RECORD(※通販のみ;サイト内商品のご購入者に配布。) 「月刊てりとりぃ」第33号(2013年1月号)[全20頁/限定150部] 発行日:2012年12月22日(土曜日) 発行:TV AGE 編集・発行人:濱田高志 レイアウト:大久達朗 題字:宇野亜喜良 ◇目次(緑字は新連載および新規寄稿者によるコラム) ■1面=特集 伝説のアパート“トキワ荘”を舞台に描かれた若き漫画家たちの夢と青春の日々を今ふたたび(鈴木啓之

              「月刊てりとりぃ」オフィシャル・ブログ
            • 赤ちゃんや子連れでのお出掛けにオススメなちひろ美術館の話 - 新米ママと、ときどきオトン。

              (2017.05.23追記)先日2歳4ヶ月になったむすめと再びちひろ美術館を訪れました!以前より成長し、今回は一緒に美術館を楽しむことができました。この記事の後半にその時のことを追加していますので、ぜひあわせて読んでみてください!↓以下より以前の記事です。 こんばんは、新米ママのtononecoです。もう1年以上も前になってしまいましたが、去年の夏むすめが生後7ヶ月くらいの頃、練馬区にある「ちひろ美術館」へ行きました。 むすめを連れていろいろおでかけにチャレンジし始めていたころで、この時は初めてひとりでむすめを電車に乗せ美術館へ行きました。とてもドキドキしましたし、自分としても印象深い思い出です。 ちひろ美術館へ足を運んだのは初めてでしたが、赤ちゃんや子どもと一緒に行くのにとてもおすすめな美術館だと思いました。 今回の記事に掲載されている画像は、すべて「ちひろ美術館」のホームページよりお借

                赤ちゃんや子連れでのお出掛けにオススメなちひろ美術館の話 - 新米ママと、ときどきオトン。
              • 〈企画展〉谷川俊太郎と絵本の仲間たち<br/>-堀内誠一・長新太・和田誠-|ちひろ美術館・東京

                絵本学会、(社)全国学校図書館協議会、(社)日本国際児童図書評議会、日本児童図書出版協会、(社)日本図書館協会、杉並区教育委員会、中野区、西東京市教育委員会、練馬区教育委員会、武蔵野市教育委員会 詩人として、長年第一線で活躍してきた谷川俊太郎。現代詩の世界のとどまらず、ジャンルを超えて精力的に展開されるその活動は、常に人々を魅了し続けてきました。とりわけ、翻訳を含む絵本や子どものための本の仕事は、谷川の仕事のなかでも重要な位置をしめています。 国内外のさまざまな画家たちと日本語を駆使して絵本をつくってきた谷川ですが、そのなかでも“特別な存在”であり、自身の創作にも大きな刺激を受けたと語るのが堀内誠一、長新太、和田誠の3人です。 イラストレーター、デザイナーの枠にとどまらないダイナミックな仕事ぶりで、すぐれたエディターでもあった堀内誠一。言葉をあつかう詩人でありながらノンセンスへの憧憬を

                • 没後20年 まるごと馬場のぼる展 描いた つくった 楽しんだ ニャゴ! | 展覧会 | 練馬区立美術館

                  絵本「11ぴきのねこ」シリーズで知られる漫画家・馬場のぼる(1927~2001)を、様々な側面から紹介する展覧会を開催します。 馬場は青森県三戸町に生まれ、1949年漫画家を目指して上京します。1950年には少年誌でいち早く連載漫画を手がけ、手塚治虫、福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれるほどの人気を博しました。児童漫画界の主流が活劇モノに変化し始めると、大人向けの漫画雑誌に連載しながら、徐々に絵本の世界に活動の場を移します。1967年に刊行された『11ぴきのねこ』(こぐま社)はロングセラーとなり、現在まで絵本のみならずキャラクターグッズや人形劇など様々な媒体を通し、世代を超えて愛されています。 馬場は1952年から亡くなるまで約50年間練馬区に居住した、地域ゆかりの作家でもあります。自宅には膨大な日記やスケッチブックが残されていました。これら資料の中からは、街で見かけた人々

                  • 馬場のぼる - Wikipedia

                    馬場 のぼる(ばば のぼる、1927年10月18日[1][2] - 2001年4月7日[1][2])は、日本の漫画家・絵本作家。本名:馬場 登(読み同じ)[1][2]。 手塚治虫・福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス[3]」と呼ばれた。やがて大人漫画や絵本も執筆し、日本経済新聞の連載4コマ漫画『バクさん』、絵本『11ぴきのねこ』シリーズ等が代表作となった。 略歴[編集] 青森県三戸郡三戸町大字川守田字元木平に3人姉弟の末っ子[3]として生まれる。『のらくろ』『冒険ダン吉』などの児童漫画に親しんだ[4]。旧制岩手県立福岡中学校4年修了[2][4]後の1944年、海軍予科練14期生として土浦海軍航空隊[2]に入隊。練習機が不足していたため、秋田県北秋田郡上大野村の同隊グライダー訓練基地に転じ、特攻隊員として出撃を待つ間に敗戦をむかえる[4]。 除隊後実家に戻り[4]、リンゴの行商人を経験す

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                    • 『週刊アンポ』総目次

                      『週刊アンポ』 0号~15号 総目次 ◎(1- ), (8-54)等は、『週刊アンポ』の第1号に掲載、第8号の54ページに掲載などを意味する。 目次もページ数もない週刊誌 『週刊アンポ』は第6号までは、目次もページ数も印刷していないという前代未聞の週刊誌だった。創刊号の表紙裏には、「この本には目次はありません。すみからすみまで読んでください。」とある。 ところが、第三種郵便物の認可をとるにあたって、目次とページ数を印刷することが必須条件とあって、やむおえず、第7号からはページ数をつけた。そのため、総目次や索引を作ろうとしても、最初の6号までのページのノンブルがないため、不完全なものしかできないという、思いがけない結果も生んだ。 「週刊」とは銘打っていたが、実際には隔週刊の発行だった。そして第12号までは、いわゆるふつうの週刊誌のスタイルで、カラー印刷の表紙がついて製本されていたものだったが

                      • 0981 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                        杉浦さんが…唐草文様を見ている。そこからエジプト、ギリシア、東アジア、中国、日本をまたぐユーラシア植物帯のうねりが立ち上がる。パルメットから忍冬唐草へ。その文様をもっとよく見ていると、植物たちは動きだし、そこに渦が見えてくる。日本の正月では、この唐草文様を覆って獅子舞が踊っている。中国では獅子だけではなく、龍も亀も、鳥も魚も、その体に渦を纏って世界の始原や変容にかかわっている。そこで杉浦さんは…ふと目を転じ、その渦がときにバティック(更紗)となって人体を覆い、古伊万里の章魚唐草となって大器となり、ジャワの動く影絵となって夢に入りこむことを、抽き出してくる。 こうして杉浦さんに…よって、どの渦にも、天の渦・地の渦が、水の渦・火の渦が、気の渦・息の渦が、躍動していくことになる。これらの渦を総じていくと、カルパヴリクシャが待っている。樹木が吐く息のことである。けれども杉浦さんが…見るカルパヴリク

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