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  • 2/5 社会を理解しない人たち - きょうも歩く

    というタイトルを打つとなにやら銭湯での行儀が悪いの、先輩後輩の身分関係をわきまえないの、そんなことを言うように見えるが、全く逆である。 ホームレスのことに取り組んでいる人のホームページを見た。 その人が、ホームレスが公園で住民登録を認められたことを前向きに捉え書いた記事に対して「税金でつくられた公園を勝手に占拠して」から始まって「自立しない人間を甘えさせる必要はない」「支援者たちは偽善者」などと結構口汚いコメントがものすごい量書き込まれていた。折しも大阪市が公園からホームレスの排除を始めたときに重なったので、注目が大きかったのだろう。 住民登録は居場所を特定する届けにすぎない。それを役所が公認したように思うのは官治主義による錯覚だろう。住民登録は民法上の占有権に直結するものではない。実際に住んでいるところ以外に住民登録することはできない。デオドラント日本には少なくなったが、都会には民法上の

      2/5 社会を理解しない人たち - きょうも歩く
    • Apes! Not Monkeys! - 「バターン死の行進」問題まとめ——「ネタ」のシニシズムについて

      前回はあまり内容に踏み込まず、SWCやレスター・テニー氏による抗議との間に齟齬があるのかどうかを主として検討した笹幸恵氏の「「バターン死の行進」女一人で踏破」(『文藝春秋』、2005年12月号)について私の評価をまずは述べます。 1. 笹論文の評価 わざわざ「死の行進」のルートを歩き直した労力に対しては「ご苦労さまでした」と申し上げるにやぶさかではありませんが、「「バターン死の行進」女一人で踏破」という記事そのものにはなんらポジティヴな意義を私は見いだせません。それは、彼女自身が「実際に歩いてみてわかったこと」を「第一に、「この距離を歩いただけでは人は死なない」ということ」と振り返っていることだけから考えても明白でしょう。良好な栄養状態にある健康な人間(たとえ数日前から下痢をしていたにしても)が、適宜食事と水を補給し夜はホテルで休みながら100キロちょっとの道のりを4日間で歩いた(その間殴

      • 放っておいて欲しかったんじゃないのか俺達は? : 404 Blog Not Found

        2006年03月14日03:06 カテゴリLove 放っておいて欲しかったんじゃないのか俺達は? そう望んだのは、他の誰でもない我々だったはずだ。 Actually Pet Shop Boys 空中キャンプ-だめな人が、単に放っておかれる社会今現在、性的弱者、コミュニケーション弱者は、ただ単に放っておかれる。共同体そのものの効力が、ないに等しいからだ。かつての少年少女たちは親がウザくて、学校がウザくて、世話焼きババアがウザくて、説教ジジイがウザくて、ムラがうざくて、家を出た。こうした少年少女達は、「ウザい世間」を反面教師にして自分たちの子供たちを育てた。かくしておせっかいは消滅し、自由は勝ち取るべきものから、生まれたときからそこにあるものへとなっていった。 そして彼らの孫達が、そのかつてあったらしい美しき日本のおせっかいを懐かしみ、うらやむ。 上掲の Pet Shop Boys のアルバム

          放っておいて欲しかったんじゃないのか俺達は? : 404 Blog Not Found
        • http://0000000000.net/p-navi/info/column/200602172147.htm

          • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

            ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…

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              恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日本に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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              • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

                絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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                • Let’s call a spade a spade. - 「ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に」に言及する

                  • NaokiTakahashiの日記 - 自分自身を承認する必要なんかない

                    • たけしとジブリ - ぼうふら漂遊日記

                      >彼のまとっている「リアルな貧しさ」が、当時の自分にとってはあまりにも日常の風景でありすぎたからだ。http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20060217 以下は、『HANA-BI』のベネチア受賞の便乗企画で出た『コマネチ!』に中野翠が寄せている一文、『やっぱりなんだか、変な人 テレビの中のたけし論』より。 「何と言っても、たけしを中心にタレントがゾロっと居並ぶ、あの絵面が厭だった。あのグチャーッ、モアーッ、デレーッ、とした空気(なあんて。他にもっとプロっぽく気の利いた形容はできないものだろうか)がたまらない。特に『元気が出るテレビ』の、お揃いのトレーナーを着こんで「社長」、「部長」と呼び合う、あの同族会社感というかファミリー感になじめなかった。」 「昔ながらの質実な美意識やモラルも失ない、フワーッと浮き足立って、メディアの祭りに乗せられている人びと。つねに

                        たけしとジブリ - ぼうふら漂遊日記
                      • 他者・命令・所有権 - heuristic ways

                        ■他者の中にある命令 アルフォンソ・リンギス氏は、『何も共有していない者たちの共同体』*1(原著1994年)の中で、われわれが「どのように他者と出会うのか」ということについて、実に興味深い見方を示している。 リンギス氏は、メルロ=ポンティやレヴィナスの英訳もしている哲学教授で、「世界のさまざまな土地で暮らしながら、鮮烈な情景描写と哲学的思索とが絡みあった著作を発表しつづけている」とのことで、氏においては、現象学的な他者認識と移住先や旅先で遭遇した他者体験とが相互に浸透しあって、異色の考察を形成している。そこでは、たんに旅の経験の分析に現象学が適用されるのではなく、むしろ現象学を生み出した西洋の合理的意志が世界のさまざまな場面でそれ自身の可能性と限界を試されているという印象を受ける。 リンギス氏は、「侵入者」というエッセイの冒頭で、カントの実践哲学を次のように(大胆且つ単純明快に)パラフレー

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                          恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日本に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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                          • 誰も誰かを理解する事なんて出来ない - 神コップBloG_ver.?

                            結局はそういう事だ。幼子が親心を理解できないように。日本人が韓国人を理解できないように。男が女を理解できないように。女が男を理解できないように。 誰も誰かを理解する事なんて出来ない。理解しようとする事は出来ても、理解する事は決して出来ない。 人間の内面という物は生まれてから現在に至るまで自己に影響を及ぼした、何億何兆という要素が複雑に絡み合い構成されている。その要素が決定的に重なる相手など存在しよう筈もないし、大部分が重なるであろう双子でさえ完全に理解しあえるわけもない。 人は決して人を理解する事が出来ないのだ。そうしたつもりになる事は幾度も幾度もあるだろうが、それは全て幻であり嘘であり虚構だ。 だが人はその逃れられない性として、誰かに理解されたいと望む。知己の仲、気心の知れた仲などといって、互いが相手を理解しているように思い込もうとする。だがそれは十中八九、或いは十中に十勘違いであり、理

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                            • 隣人に光が差すとき - heuristic ways

                              安藤裕子さんのプロフィールを読むと、彼女がTVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」に出演したとき、「このドラマの監督であった堤幸彦氏に詞曲の世界観を絶賛され、過去に制作していた"隣人に光がさすとき"という曲のデモ音源が、堤監督が撮りおろした2003年公開の映画「2LDK」(主演:小池栄子)のテーマソングに選ばれた」いうくだりがある。この曲は、1st フル・アルバム『Middle Tempo Magic』(2004年)に収められている。 やわすぎた私は 人混みの中埋もれ 光の差すあなたを見てた 輝けるあなたの 斜め後ろを辿り こぼれる光に手をのばす 立ちつくす私は 流れる人に押され 倒れるように膝をついた 誰独り埋もれた 私のこと気付かず 光の差すあなたを見てた 生田武志氏は、『<野宿者襲撃>論』の中で、「ホームレスが隣人」であることに耐え難い苦痛と怒りを感じる「地域住民」が日本各地で「いま多

                              • 死骸を食うこと - [間歇日記]世界Aの始末書

                                いま、焼きうるめいわしを食いながら、いいちこのお湯割りを飲んでいる。おれの母なんぞは魚が嫌いで、とくに生きているときとほとんど同じ形をした魚は絶対に食べられない。そのくせ、エビやらカニやらは、どう見ても虫みたいなおどろおどろしい形をしているのに、平気でばりばり引き裂いて食う。好き嫌いというのは不可解なものである。 そこで、ふと考えた。おれたちは基本的には、動植物を問わず、ほかの生きものの死骸や組織の一部を食っている。食わないと生きてゆけない。だが、いずれは食物をすべて人工的に作り出せる技術を持つだろう。必要な物質を組み合わせて、“天然もののマグロよりもうまくて栄養価の高い、天然もののマグロの組織の一部を模した(というか、そのものである)肉片”を作り出したりできるようになることだろう。 さて、そのような技術を手にしたとき、人はほかの生きものの死骸を食わなくなるだろうか? つまり、ブツとしては

                                  死骸を食うこと - [間歇日記]世界Aの始末書
                                • 送迎殺害事件について - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

                                  このたびの幼児送迎殺人について幾つか思うところがある。 様々な有識者の意見のなかで、「二度を同じ事件を起こさないために、外国人を日本社会で孤立させないための心構えとか取り組みが必要である」といった立派で正当な意見に私は違和感を覚える。 「外国人対策」という意識を持つその時点で、差別の萌芽を感じてしまうからだ。 海外の都市に暮らしたことのある人はわかると思うけれど、外国の地域社会において異国人交流が特に盛んであるとは思えない。最初のうちは、外国人ということで好奇心の眼を向けられるが、しばらくすると無視される。言葉がつたなかったりすると露骨に厭な顔をされることもある。 そういう時は腹が立ったり落ち込んだりするが、相手は、こちらのことを明確に外国人と区別して接していることがわかり、その区別意識を感じることで、こちらは自らのアイデンティティを再確認することがある。「オレは日本人なんだから、しかたな

                                    送迎殺害事件について - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
                                  • 他者理解の構図3 - uumin3の日記

                                    自分の「思考」を起点に他者の「思考」へたどり着こうとしても、それは決して明らかなものとして与えられることはない。ということを書いて参りました。他者の理解とは、その他者の思考を自分の思考の中で組み立てる(さらに言えばその真偽の認証はその他者につけてもらう)ということではないのです。そういう形で「他者」を理解する、言い換えれば「他者」を自分の中に取り込んでしまうことはもともと構図的に不可能であると…。 にもかかわらず私たちは(他者を)「理解した」と思ったり、「理解して欲しい」と思ったり、当然その理解が可能だということを疑いません。これは、その相互理解への信憑が先に来ているからなのです。もしそれが「思い込み」であったとしても、それは私たちを作り上げてきた「基底的な思い込み」、それを疑うことなどできないレベルでの思い込みです。 私たちは胎内からこの世界に出た時点で、自他未分、世界のすべてが自分であ

                                      他者理解の構図3 - uumin3の日記
                                    • 重層的非決定 - 言説の内と外

                                      • 蓄音機の効果 (1/2) ─ ジャック・デリダ 「ユリシーズ・グラモフォン」 中井 悠

                                        およそあらゆるマーク(≒記号)たるもの、それが意味をもち、理解され、使用されうるかぎりは、たとえどんな私的なものであろうと、その担い手たる主体の不在においても反復可能でなければならない。というジャック・デリダが1968年の「署名・出来事・コンテクスト」以来口酸っぱく主張してきた反復可能性の議論は、だがいつもながらこの哲学者の語り口の曖昧さからしていらぬ誤解を招きやすい。たとえば(芸術作品、なかんずく音楽作品に関して反復可能性の書法は当てはまらないのではないか、と問われて)「芸術作品といえども存在するためには何らかの同一性が作品の同定を可能にするために必ず構成されなければならず、それは他の刻印と同じく、ただおのれの反復可能性を通してのみ成立するものである」云々 [*1]。ちょうど口頭発表後の討論の場で、焦ったせいかこの答えはもっぱら芸術の経験という特個的な出来事の記憶可能性だけを語っていて、

                                        • 2006-02-20

                                          他者理解というものにおいて私たちにあるのは、もともと意志伝達の「事実」ではなくて「確信」だけであるとすると、いったいこの問題はどう表されるべきなのでしょう。ある種理想的な他者理解の絶対的困難性のゆえに、正当な他者理解というものは諦めねばならないのでしょうか? もちろんそうは考えられません。 自己と他者の関係では、まず他者の行為こそが、私に「意味」を与えてくれるものだという点を忘れてはならないと考えます。それ以外のものは「意味」のレベルでは二次的なものです。またここでは文字・道具などの文化的サインも他者の行為に準ずるものと考えられます。 そしてまた他者理解の根幹は、他者の行為の「意味」を我々がいかに「解釈」するかにかかっているということも。ここで「解釈」というのは、手持ちの意味の単に恣意的な当てはめなどでは決してありません。それは「意味」を共に作っていく作業であり、自己の変容なしにはいられな

                                            2006-02-20
                                          • 不幸に敏感で幸福に鈍感であることの不幸3 - BigBang

                                            不幸に敏感で幸福に鈍感であることの不幸 不幸に敏感で幸福に鈍感であることの不幸2 ブログの世界には、相当つらい経験を吐露されている方、鬱で苦しんで おられる方等が沢山いる。中には、本当に信じられないくらいシビアな 経験をされている方もいるので、僕は最初、 「不幸な経験を持つとブログを始める」 などという相当無理のある仮説を信じそうになってしまったくらいだ。 思えば人は、内面にある何かを表現したいと思わなければ、自分の心を 振り絞って見知らぬ誰かに伝えようという行為は行わない。 その「振り絞るようにして伝えたいこと」は必ずしもつらいこと、苦しい ことばかりではないのはもちろんだ。心から好きな人への思いを綴って いる人もいる。自分の思想や時事へのスタンスを表明するために、本当に びっくりするような質の高い評論を綴っている方もいる。 要は、何もきついことやつらいことばかりが、ブログのテーマになる

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                                              絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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                                                絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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                                                  ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…

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                                                  • 「人を殺す」ことと「他者の死」 - mushimoriのノート

                                                    そういえば、死者との関連で思い出した。「弱さを克服したくて人を殺した」少年の殺人についてid:mojimojiさんとやり取りしたときに、「他者の死によって〜は妄想に過ぎない」というようなことをmojimojiさんは言っていたが*1、その批判はいささか問題点を見誤っているように思える。なぜならそこには少年が“他者の死によって”何事かをなせると思っている、という暗黙の前提があるからだ。僕は少年が殺した相手の死に何かしら意味を見出していたとは思わない。むしろ少年にとって意味があったのは「人を殺す」という行為そのものだったのではないか、と思う。当然そこには「他者の死」が付随するがしかし、「他者の死」にまで少年の考えが及んでいたかには僕は懐疑的である。「殺す」という行為に重点があるのと、「他者の死」に重点があるのとでは意味がまったく異なると僕は考える。それは「殺人者」という存在に対して社会がどのよう

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                                                      恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日本に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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                                                        ラジオのように書き出してもよい -DW5900をつけたり商談に出たり- あんまり選択肢に入っていなかったんだけども、Wasted Youthとのコラボレーションモデルの青いボディに白い文字盤という組み合わせにぐっと来て手に入れたDW5900。 三つ目の目盛りがポチポチと増えたり減ったりするのが見ていてとても面白くて、子供の頃に病院かどこか…

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