関氏は日産自動車の副最高執行責任者(COO)を務めた後、日本電産の創業者である永守重信氏(以下、永守会長)に請われて日本電産に転身し、2021年にCEOに就任した。ところが、永守会長はわずか1年で関社長のCEO職を解き、COOに降格させる人事を発表した。その後、日本電産が次の成長の柱に据えた車載事業の赤字の経営責任を実質的に負わされる形で、関氏は日本電産を退社していた。 関氏の辞任について、永守会長は「私から首を切るようなことは一切ない」「けんかではなく指導だ」と記者会見で語り、株価の下落と「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という企業文化が崩れることに我慢がならなかったと説明していた。一方、関氏の辞任を境に、永守会長や日本電産の経営などに関して厳しい論調の記事が続出。さながら関氏と永守会長の“代理戦争”の様相を呈していた。