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103系1000番台の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 国鉄203系電車 - Wikipedia

    国鉄203系電車(こくてつ203けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1982年(昭和57年)から投入した[8]直流通勤形電車。 本稿では、インドネシアのPT KAI Commuter Jabodetabekやフィリピン国鉄に譲渡された車両についても述べる。また、各編成を「マト51」(「松戸車両センター第51編成」の略)のように呼称する。 概要[編集] 常磐緩行線と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線との相互直通運転に充当されていた103系1000番台[8]に代わる車両として導入された[8]。乗り入れ協定によって、勾配の多い区間でも高加減速が求められることから[2]、基本設計を踏襲した201系[9]と同様のサイリスタチョッパ制御を採用し、同時にアルミ製車体を採用して車体の軽量化とさらなるコストダウンを図ることとなった[7]。 導入の背景[編集] 203系100番台の新製回送 本系

      国鉄203系電車 - Wikipedia
    • あお色エレジー、千代田線に来ぬ新車 - 鉄路的部落

      タイトルは千代田線ですが、JRネタです。不動産屋の「千代田線、北小金駅」ではないですが^_^;、一体性の強い常磐緩行線の話題です。JRとメトロ、それぞれの前身である国鉄と営団地下鉄の奇妙な関係の話です。 千代田線は元々1960年の東京都都市計画高速鉄道10路線中の8号線として示された路線で、小田急線喜多見を起点に、原宿、永田町、日比谷、池之端、日暮里を経て松戸方面への路線として計画されました。喜多見は、多摩ニュータウンへの新線を計画する小田急線との相互直通を意識したものと思われますが、62年の運輸政策審議会の答申では、9号線(芦花公園~新宿~上野広小路~両国~浜松町~麻布)と共にキャンセルされ、都計10号線(中村橋~錦糸町)が繰り上がって8号線を名乗りました。おそらく相互直通相手と目された小田急、京王両社が乗り気でなかったのでしょう。 その後64年に喜多見~代々木上原間を小田急線の線増とし

        あお色エレジー、千代田線に来ぬ新車 - 鉄路的部落
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