自殺予告手紙:「生きていくのがつらい」……手紙全文−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ これは本物だと思う。 「両親へ」という手紙だけ論旨が支離滅裂で、他は筋が通っている。いたずらではこんな細かい芸はできないだろう。 この子は人権を奪われていて、それを回復できないから死ぬと言っているのだ。この子にとって自分の人権は命より大事なものだ。「僕の人権と僕の命とどちらが大切ですか?」と問うているのだ。 それに対して、「人権は後で何とかするから命を大切に」という答は意味がない。 人権とは、自分が言ったことを誰かが聞いてくれて答えてくれることだ。「クラスのみんなへ」「担任の先生へ」「クラスのみんなの保護者へ」「教育委員会へ」という4つの手紙で一貫しているのは、「僕が苦しさを訴えていることに、何らかの応答をしろ」ということだ。彼は、答えを求めている。 ぜったいなん年かたったらわすれるでしょう(クラス
Google Earthでは、アフリカ大陸の画像の中に、ところどころものすごく解像度が高い写真があって、そこには河馬とか象とか牛とかが写っているので、話題になったりしているのですが(id:kyoumoe:20061107#1162837181とか)、なんでこんな風にところどころ写真の解像度が高いのかというと、これらの写真はマイケル・フェイさんという自然保護活動家が行っているアフリカの生態系調査プロジェクト「メガフライオーバー」の一環として、セスナ機によって撮影された写真だからみたいです。 で、Google Earthの画面左下にある「レイヤ」の特集コンテンツの「ナショナルジオグラフィック誌」のなかに「アフリカ メガフライオーバー」という項目があるので、ここにチェックを入れると、詳細画像がある場所に全て赤いセスナのマークがつくので、どこにあるかがすぐにわかるようになります。クリックすると説明
この話はなんども書いたような気がする。 生きているか死んでしまったかというのはけっこう偶然だったりするし、なかなか、その後の人生というのはむずかしい。 どう考えても、生きることに適性のない人間というのがいるとしか思えない。というか、これはけっこう薄く広がっており、多層的な生活能力で覆われているのだろう。うまくいえないが、そう少数の分布ではないのだろう。 とか思うのは、なぜ人は、救済だの宗教だのを求めるのだろう。こんなことを私が言うと苦笑される人もいるだろうがまあ、苦笑されるかたは私がどれほど反宗教的な人かわかってないのだろうと思うのでしかたがない。安易に理解してくれとも思わないし、率直に言って理解しないでよいとも思わないのはこんなことをうじゃっと書いていることでもわかる。ま、私は世界の片隅で孤独を叫ぶではある。 で。こういう宗教だの盲信だのに少なからぬ人が精神支配されている、というのは、そ
自殺をほのめかす青年とのやりとりをこてっと書いていた。 ざっと読んで微妙な気分になった。 ある意味一番にひっかかったのは、哲学が好きという若者でも哲学のセンスがないということだった。このあたりは、あれだけ義道センセがうじゃっと言ってもしかたないところがある。哲学には哲学を展開するセンスのようなものが必要だ。 というか、これは大抵の学問や仕事の技術に言える。 ただ逆説的なものもあって、経済学のセンスというのは、経済現象とか政策に対するインサイトと合わないみたいだしとか。 大森荘蔵は、ある意味で哲学のセンスのない人でもあり、それをうわまわるセンスのある人でもあった。後者はだからよき人であり、よき教育者だった。が、彼の哲学とはおよそ無頼としかいいようのないものでもある。ただ、もう30年近く読んでいると、なんとなく道元と同じようにも見えてくる。話がそれた。 たぶん、異性の向き合い方というのもある種
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