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私が芥川の「地獄変」を読んだのはわりあい年齢を重ねた頃で、大学を出るか出ないかの頃だった。 ここに出てくる堀川の大殿とは、藤原兼通のことを言うともいい、道長をモデルにしているとも言う。 大殿の栄華の描写、その評価が大鏡に出てくる道長に近似していることから、私は道長を当てはめている。 青年の頃の私が衝撃を受けたのは、作品そのものにというよりも、おのれが迂闊さに対してであった。 と言うのは、この作品に出てくる大殿はさしたる罪過もない女房を焼き殺すという非道をなすからであり、それによって私は改めて平安時代における警察機構、裁判機構の不在に思い至ったのだった。 無論、検非違使なり、蔵人頭などはいたにせよ、それは権力者が統治するための手段であって権力者をも拘束するものではない。 そのような世界で数々の傍若無人な振る舞いが権力者やその一族によってなされたであろうことは想像に難くない。 私は既に源氏物語
書店で見かけ、標題「精神分析を受けに来た神の話―幸福のための10のセッション(マイケル・アダムス)」(参照)が気になって手にした。ぱらっとめくったものの、未読の「神との対話」(参照)とか、ありがちなスピリチュアル系の話かなと思って書架に戻した。が、その後、巻末の問い掛けが心に残り、なんとなく気になってアマゾンでポチっと買った。昨晩、寝るかなと思って退屈げな本のつもりで読み出したら止まらず、睡眠時間を削ることになった。 面白いといえば面白かった。二時間か三時間くらいで読める本だが、たぶん、この業界というのもなんだが精神分析というかカウンセリングの内側を知っている人にはいろいろ業界的な発想が伺える面白さもある。 書店の紹介にはこうあるが。 「私」 と 「世界」 をつなぐ幸福のヒント。ある日、「神」 を名のる男が精神科医のもとを訪れた。対峙する両者。思いがけぬ事態の展開に導かれ、徐々に変貌する心
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