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福嶋亮大に関するque-quiのブックマーク (3)

  • ネーション抜きの想像の共同体? - 仮想算術の世界

    いつの間にか更新が空いてしまいました。書きたいことは色々あったはずなのですが…。 とりあえず、『メイキング・オブ・ピクサー』という書評を書きました。ちょうど宇野さんが『新潮』の今月の連載でピクサーについて書かれていたので、図らずも同期しています。 えーと、後は何だろう…。そういえば、イオシスの「チルノのパーフェクトさんすう教室」を中国各地で踊ってみるという動画がしばらく前にニコ動で上がってるのを発見したのですが(笑)、こういう現象はけっこう面白い。何というか、記号消費のステージも国境を越えて着々と進んでるなと思います。 実際、アニメ声優やアイマスなんかがわかりやすいですが、「私」の肉声を一度取っ払ってしまった非人間的でデータベース的な「声」のほうが、かえってより遠くに届くということが、現在の文化では起こり得る。「チルノのパーフェクトさんすう教室」が中国でも受容されるというのは、ま

    que-qui
    que-qui 2009/06/25
    これだ!
  • 1Q84のことなど - 仮想算術の世界

    (若干ネタバレ注意>『1Q84』) こんにちは。東さんのブログにつられて『スタートレック』見に行ってきたのですが、これは面白かった…。まぁ僕はスタートレックには詳しくなくて(むかしTVで『ヴォイジャー』を何話か見て「リベラルでメタフィクションなのだなぁ」と思ったくらい)、何かを語る資格はまったくないのですが、とりあえず「偽史」の話とモロに絡んでいるのは明らかだったので、その意味では今号の『思想地図』の論文(「ホモ・エコノミクスの書く偽史」)はけっこういいテーマ選択だったのかもしれません。 しかしまぁ、J・J・エイブラムズって毎度毎度技巧的な作品撮っててすごいですね。実は僕は、『思想地図』のvol.2にエイブラムズに言及した論文を送って落とされた経験があるのですが(笑)、もう一回書き直してみようかな…。『LOST』のシーズン4も良かったし。 * 一応僕の議論の前提を言えば、今日の作家

  • 表現のリポジトリ - 仮想算術の世界

    最近は『ユリイカ』の連載に使えるかなと思って、柄谷行人『隠喩としての建築』を読み直していました。まぁ古いなんですが、いまふうに言えば「ソシオフィジックス」の走りみたいな論文が収められていて、いろいろ考えさせられます。 たとえば、このには、クリストファー・アレグザンダーの「ツリー」と「セミ・ラティス」の区別が採用されていますが、これはいまふうに言えば、新聞やテレビに代表される垂直統合型のマスメディア=ツリー構造に対して、さまざまな素材を横断的に組み合わせながら随時異なる集合を組み立てていくニコニコ動画=セミ・ラティス構造の区別にも対応させることができる。つまり、一方の要素が他方の要素を完全に包摂してしまうのではなく(ツリー構造)、むしろある要素と別の要素の組み合わせが部分的に「オーヴァーラップ」し、かつそのアナログな重なり合いが無数の要素間で形成される(セミ・ラティス構造)、そういう多

    que-qui
    que-qui 2009/01/27
    水村美苗『日本が亡びるとき』論
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