戻る 憲法9条の成立経緯 西 修 1.はじめに 憲法9条について、その成立過程を中心に論述した著書は、いくつか存する*1。論稿も、数多く存する*2。しかしながら、発案の段階から最終的に9条として成立するまでの経緯を、極東委員会における文民条項導入のための審議状況をも含めて克明に記述した著書・論稿となると、ほとんどないといってよい*3。 政府の説にしても、いわゆる学界の通説といわれる学説にしても、成立の経緯をふまえた9条解釈はなされていない。これはまことに不思議な現象といわなければならない。さまざまの解釈が存在しているのであれば、その成立の経緯を詳細に検証することは、絶対に必要なことである。 多くの学説は、9条の平和主義を強調し、その行きつく先として非武装解釈をとっている。もちろん、9条が平和主義条項であることは疑う余地はない。けれども、私の最近の調査では、182の成典化憲法中149(8
『近代とホロコースト』との関連で『逆説の軍隊』(戸部良一、『日本の近代9』、中央公論社)を読んでいるのだが*1、ちょっと考えさせられるエピソードが紹介されている。 明治政府が当初フランスの軍制をモデルに陸軍を整備した(海軍はイギリスがモデル)ことは比較的よく知られているが、当初は授業をすべてフランス語で行ない、地理や歴史もフランスのそれが教えられていた、というほど徹底したフランス化だった。なにしろ、靖国神社の前身である招魂社の参拝に際して、フランス語の号令でカトリック式の礼拝をしていたのだそうである(87頁)。上からの近代化が始まった直後の、短期間のエピソードであるとはいえ、靖国神社の性格を考えるうえで示唆的なはなしではある。 *1:というと語弊があって、たまたま古書店で見かけて買い、冒頭部分をぱらぱらと読んでいると問題として接点がありそうだったので同時並行で読むことにした次第。後進国にま
2chプロレス板で見かけた天皇関連のコピペが面白かったのでメモしておきます。 もし世界が128人の天皇だったら 14人は実在しません。 5人は天皇かどうだか疑われています。 8人は女です。 18人は少年です。 23人は幼児です。 1人は幼女です。 3人は幼児のうちに位を奪われました。 5人は気が違っています。 13人はやりたい放題やりました。 29人は何もできませんでした。 9人は貧乏に苦しみました。 15人は戦争をおっぱじめました。 6人は戦争に勝ちました。 8人は戦争に負けて退位しました。 2人は戦争に負けても居座りました。 17人は天寿をまっとうしました。 30人は病死しました。 6人は殺されました。 6人は流罪人として死にました。 1人は自分の仕掛けたいたずらにひっかかって死にました。 1人はまだ生きてます。 13人の天皇が、3人の皇太子と、16人の皇子を殺しています。 2人の天皇
おくればせながら、はてなのパパことid:kanoseさんのエントリARTIFACT@ハテナ系 :昔からいた電車の床に座り込む人たちに反応してみたいと思います。ロートルの語る昭和の昔、電車内の風景について。●ゴミは座席下にまず、列車内でゴミは座席下に捨てるのがマナーという話だけど、1950年代東海道本線で撮られたという下の写真を見て欲しい。「ええ! 昔の電車の床ってこんなに汚いの?」と思われるかも知れないけど、1970年頃の僕の記憶では、ある程度の長距離を走る電車では、定期的に車内清掃のひとがやってきた。なので、それに合わせてみんな弁当のゴミはもちろん、ポケットのちり紙や鞄の中の紙くずなども(わざわざ)取り出して床に捨てていた。その瞬間の写真だからとりわけ汚いのだと思う。(運行中の)車内清掃っていつなくなったのだろう。●電車内ではズボンを脱ぐ残念ながら写真は無いのだが、電車に乗るとおもむろに
慶應大、東工大、東大をUUCP方式で結んだことで始まったネットワーク。公衆電話回線を用いた。 84年8月、慶應大の若き研究者である村井純が東工大に籍を移すこととなった。村井は慶応大のコンピュータのなかに沢山のデータを残しており、そのデータが必要になるたびに村井や後輩達は東工大と慶應大を往復していた。 電話線を使って東工大のコンピュータと慶応大のコンピュータとの間でデータの送受信ができないだろうか。 どちらのコンピュータもUNIX搭載機であった。UNIXマシン同士でデータ転送を行うには通信プロトコル「UUCP」がある。 初めは慶應大、東工大間を接続、まもなく東大も参加。 JUNETの機能の中で主なものは、バケツリレー方式での電子メール・ネットニュース。 電気通信事業法の施工、いわゆる「通信の自由化」をまって、95年の情報処理学会にてJapan University NETwork「JUNET
これは面白い。Google が David Rumsey Historical Map Collection と協力し、Google Earth 上で古地図を閲覧できるようにしています: ■ Google Earth in 4D (ZDNet.com) タイトルにある"4D"という言葉が的確に表現していますね。4次元、すなわち「縦×横×高さ」に加えて、「時間」まで表現するようになったわけです。最近 Microsoft の Virtual Earth が立体表示に力を入れていますが、Google はそこからさらに一歩進む可能性を示した、と言えるでしょうか。 試しに「1680年東京」という地図を表示させてみました: Wikipedia によれば、1680年は江戸時代で、徳川綱吉が江戸幕府5代征夷大将軍となった年。この地図が書かれた7年後に、有名な「生類憐みの令」が告知される、と言えば時代感覚が
様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。 つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。 子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。 でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。 普通考えるとあり得ないですよね。 あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか? 結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカ
格差社会が大きな論争テーマになる中で、実際に所得格差が広がっているのかについて、これまでもいくつか図録化してきた(テーマ別図録リスト「格差」参照)。ここでは、ジニ係数や上位と下位の所得差といった社会全体の格差状況ではなく、高額所得者がいかに社会の富の大きな割合を占めているかを所得シェアの面から見てみることにする。 欧米でも格差問題が関心を呼び、ピケティなど高額所得者の所得シェアのデータベースを作成する研究者が出てきている。こうしたデータベースはThe World Top Incomes Databaseサイトに集大成されており、ここには主要国の高額所得者(所得上位1%層や10%層など)の所得シェアを戦前から追ったデータが掲載されている。ここでは所得上位1%層について日本、フランス、米国、英国、カナダの推移をグラフにした。 もっと多くのOECD諸国のデータ(ただし2時点比較のみ)は図録465
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ぼくは歴史の本を読んだりするのが好きなのですが、時々ほとんど予備知識を持たない「守備範囲外」のテーマを取り扱った歴史本を読むと、とても刺激を受けることがあります。今回はそんな本を一冊紹介しようと思います。本のタイトルは「King Leopold's Ghost(レオポルド王の亡霊)」。残念ながら日本語訳はありません。 19世紀後半、欧州各国の「アフリカ争奪戦」が加熱する中、小国ベルギーの君主レオポルド二世はアフリカ内陸部のコンゴを「個人植民地」にし、暴虐の限りを尽くしました。強制労働により象牙やゴムを採集し、不平分子は有無を言わさず虐殺。コンゴ軍は弾丸を節約するために一発必殺のポリシーを立て、その証拠として死体の右手を切断して持ち帰るのを常としていました(帳尻あわせ、または罰として、生きた人間の右手を切断することも行われていました)。レオポルド二世治下の20数年間で犠牲となったコンゴ人は当
Web2.0とかネット広告とかを考えているとたいていの人が疑問に思うのは、 「情報を受ける側(ユーザー)ではなく、情報を提供する側(クライアント)から金を取るシステムというのは、いったい誰がどこで最初に考えたことなんだろう」 ということなんじゃないかと思います。 ちゃんとした広告代理店や、大学その他で「広告の歴史」を習ったことのある人には、そんなの常識かもしれませんが、ぼくは習わなかった人間なので、場当たり的にネットで調べてみます。 まぁフリーペーパーあたりが多分最初だと思うんですが、要するに「チラシ(広告)」を配って、そんなものだけじゃタダでも受け取ってもらえないから「町で拾った面白い出来事・事件」とかを「チラシの裏」につけてみた、というのが瓦版のはじまりだと思うわけですよ。 →瓦版 - Wikipedia 瓦版(かわらばん)は、江戸時代、天変地異や大火、心中など時事性の高いニュースを速
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