itojunに関するr0fi69jのブックマーク (16)

  • 高木浩光@自宅の日記 - IETFに行ってきた

    先週はIETF 70に行ってきた。業の件でプロジェクトメンバー達と。IETFに参加したのは今回が初めて。初日のレセプションではたくさんの日人を見かけた。面識のない方々がほとんどだった。自分達が参加したHTTPの分野とTLSの分野では日人はほとんどみかけなかった。ネットワーク系の人々が大半なのだろうか。 業のことはここにはあまり書かないポリシーだが、少し書くと、行ってみて感じたことは、コミュニティの分断。 phishingの問題は日の状況とは比較にならないほど英語圏では深刻なのだから、もっと皆、連携するなりして多方面から解決しようとしているのではないかと推測していたが、どうもそんな感じがしない。10月にAPWGに行ったときに感じたのは、APWGの人たちは技術による解決にはあまり関心がないようで、犯人達を分析することや被害者の行動を分析することに注視している様子だった。まあそれはそう

  • かにの泡ぶく(2007-11-07)

    _ itojun告別式。 とてもitojunらしい葬儀、告別式でした。 私として、日告別式に参列させていただいて、ようやく心に整理が付いた感じです。 相変わらず「いとじゅんどこ行っちゃったんだ?」って思うことはあるかと思いますが、これからは、彼を心の中に感じながら、さらにエンジニア道を精進して行きたいと思います。 昨夜は「やべ、数珠が無い」とか、「黒ネクタイどこだ?」なんてバタバタしながら、「いとじゅんに相談できれば絶対『青木さん、普段着で全然OKですよ』って言うに決まっているよなぁきっと」なんて思いつつ。 24時間、いつも戦い続けていたitojun。ようやくゆっくり休めるね。 おやすみ。

  • かにの泡ぶく(2007-11-03)

    _ itojunの死。 ありえない。 未だに気持ちの整理が出来ていないというのが、正直なところだ。それからというもの、ふと気が付くと「itojunどこに行っちゃったんだ?」なんてつぶやいている自分が居る。 彼とはもう10年以上。物理的に会うことは少なかったけど、いつもなにかの向こう側にいて、pingを打てばすぐ返ってくるような、距離を感じない存在だった。 今まで私が出会った中で「こいつやるな」と思えるエンジニアは数人だ。でも、itojunは別格だった。「こういう人を天才って言うのかもな」って、思った。でも、GeekなHackerとは思えない礼儀正しさとあの人当たりの良さと、人懐っこいやさしい純粋な眼。いつも彼は、自分のことより人のこと、世間のこと、世界のことを考えていたように思う。 会うたびに、折れちゃうほどやせ細っていたり、髭もじゃになっていたり「少し太っちゃった」とか言っていたり(申し

  • http://www.imaq.net/memo/archives/2007/10/post_549.html

  • http://www.imaq.net/memo/archives/2007/11/itojun.html

  • itojunさん 告別式 — Talpa memorandum

  • itojunの通夜へ - ただのにっき(2007-11-06)

    itojunの通夜へ あんなに人が大勢いる通夜なんて初めて行ったよ。会場入りしてから献花台にたどりつくまで行列30分って! 「UNIX板住人」の献花もちゃんとあった。あと、ダルビッシュや村主章枝なんてスポーツ選手からの献花とか、どんな関係なのか想像もつかないものも多数。故人の交友の広さがわかります。 おれはと言うと、同じIT業界にいながら業界内で共通の知人はほとんどいないアリサマ*1。nippon2007関係者と集まって少し話した程度。交友関係の狭さが伺えます。 悲しみはもう乗り越えたというか、そういう非生産的なことをしていてもitojunは喜ばないと思うので、世の中をもっと楽しくするために自分のできることをがんばる気持ちを新たにして帰路についた。

  • いとじゅんの通夜に行った - Blog::koyhoge::Tech

    臨海斎場まで行くのに、浜松町でJRからモノレールに乗換え。モノレールのホームに上るエスカレータ上でで発車ベルが聞こえる。時間貧乏な癖で、思わず列車に飛び乗ったところ「空港快速」なんてやつで、流通センターは見事に通過して羽田空港第1ビルまで行って戻ってきましたよ。さらに後で分かったのだけど、次の各停を待っている人の列の中にに神戸さんがいたようで、しっかり飛び乗りを目撃されていました。 たださんの日記にも書かれていますが、いとじゅんの通夜は当にすごい量の人で、顕花をする人の行列が入り口から飛び出て建物の壁に沿って30mくらい伸びていました。BSD仲間やらWIDE関係者の人達も大勢来ていて、久々に会う人も多かったり。 彼を知る人はみんなそうだと思いますが、あまりに突然のことだったので、死という現実に納得できないままこの1週間を過ごしてきたように思います。最後に棺の中に横たわるいとじゅんの、死化

    いとじゅんの通夜に行った - Blog::koyhoge::Tech
  • 「IPv6」の守護者、萩野純一郎氏を振り返る──彼が残した最後の記事 (1/2)

    10月29日、インターネットの新しい通信基盤「IPv6」の普及に関わっていた天才エンジニア、萩野純一郎氏(通称「itojun」氏)が逝去され、7日に告別式が行なわれた(関連リンク)。享年37歳。まだまだ活躍の期待される年齢だっただけに、当に惜しまれてならない。 萩野氏が残した功績がいかに偉大だったか。彼が最後に弊社刊「ネットワークマガジン」に執筆した特集記事とともに振り返ってみよう。 「IPv6」の普及、啓発に尽力した itojun氏は「KAME」と呼ばれる、各種OSでIPv6を使用可能にする基盤ソフトウェアを作成するプロジェクトを先導していた。 IETF(Internet Engineering Task Force)、IAB(Internet Architecture Board)といったインターネット技術の標準化に関する国際機関に加えて、WIDE(Widely Integrated

    「IPv6」の守護者、萩野純一郎氏を振り返る──彼が残した最後の記事 (1/2)
  • ある草の根BBSに舞い降りた色白の美少年の話 〜itojunの思い出〜

    ■ ある草の根BBSに舞い降りた色白の美少年の話 〜itojunの思い出〜 かれこれ二十数年前の話になる。 東京・蒲田に、ADD-Netという草の根BBSがあった。日国内のパソコン通信サービスとしてもかなり草分け的なホストだったはずだ。当時はまだ電話料金が従量制で、国内でやっと2400bpsのモデムが出始めた時期に、当たり前のように海外から9600bpsのモデムを取り寄せて使うような人が集まるコミュニティだったので、それなりに裕福な大人たちが主なメンバだったが、どういうわけか10代の少年がやたらと多かった。 そんな中でもとりわけ若い、色白の美少年がいた。たしか入会当時は中学生。年の割には生意気な口をきくが、ADD-Netに出入りするティーンエイジャーはほぼ例外なくクソ生意気な連中ばかりだったのであまり問題にはならなかった。それよりも、常識があって礼儀正しく、社交性も高かったので、大人たち

  • viを使うということ

    10月24日,数々のGNUソフトウエアを生み出しているFree Software Foundation代表の“RMS”,Richard M.Stallman氏が東京秋葉原で講演した。記者は別件の予定が入っていたため聴講できなかったが,現地では“Church of Emacs”(Emacs教会)の聖人に扮したコス・プレを披露した模様である(関連記事)。Emacsエディタの始祖であるRMSならではの,ユーモアにあふれた楽しいジョークだ。 RMSとは10年以上前に一度握手したことがある。仕事で国内のIT系展示会に行くと,そこにRMSがいた。会場では,そのカリスマ的風貌が,遠く離れた場所からも目立っていた。時代的には,フリー・ソフトウエアを企業向けにサポートするサービス事業が初めて立ち上がったころの話であり,まだインターネットは一般化しておらず,“Open Source”という言葉を立案した米Ne

    viを使うということ
  • ネットに広がる萩野純一郎氏への追悼

    10月29日に逝去した萩野純一郎氏を悼む声が,インターネットに広がっている。彼の功績や人となりを追想し,冥福を祈るブログの記事などの一部を以下に紹介したい。 WIDEプロジェクト 村井純氏 訃報:萩野純一郎氏 http://www.wide.ad.jp/news/press/20071031-itojun-j.html ただただし氏 ある草の根BBSに舞い降りた色白の美少年の話 ~itojunの思い出~ http://sho.tdiary.net/20071101.html純一氏 itojun http://d.hatena.ne.jp/rkmt/20071101/1193911576 小飼弾氏 訃報 - itojunさん http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50940302.html まつもとゆきひろ氏 訃報 http://www.r

    ネットに広がる萩野純一郎氏への追悼
  • itojun氏インタビューYouTubeで伝えたい、IPv6のあんなことこんなこと

    萩野純一郎氏が10月29日に亡くなった。名よりも「itojun」の愛称で知る人の方がはるかに多いこともあり、ここでは敬意を込めて「itojun」氏と呼ばせていただくことにする。 itojun氏は、よく知られているように、KAME projectでIPv6プロトコルスタックの開発および公開に尽力した主要メンバーの1人で、IPv6普及に多大な貢献をした技術者だ。訃報が流れて以後、インターネット上には萩野氏を悼む声が溢れている。 itojun氏は、最近ではYouTubeで「ipv6 100の質問」をシリーズで公開し、技術者だけでなく、広く一般のユーザーにもIPv6について知ってもらおうと試みていた。誌では、10月中旬にitojun氏にYouTubeのコンテンツについて取材しており、残念ながらitojun氏に見ていただくことはできなくなってしまったが、itojun氏がIPv6普及のために何をし

  • itojunさんの訃報を聞く - Blog::koyhoge::Tech

    jus幹事のMLでitojunさんが亡くなったことを知りました。Twitterでショックな気持ちを書いたところ、私のfollowersにもitojunさんの知人の方が何人かいて、その人達への情報提供のつもりでメールの一部を転載してwebに上げたところ、あっという間に情報が広まってしまいました。 mixiのipv6samurais.comコミュにも弟さんが情報を公開しておられるので、公開してよい情報と判断しここに一部を転載いたします。 <訃報のご連絡> 萩野純一郎(享年三十七歳)が10月29日、夜に永眠致しましたので慎んでご通知致します。 通夜 11月6日(火) 18時〜 告別式 11月7日(水) 11時〜 喪主 萩野久美子(故人・純一郎の母) 場所 臨海斎場 〒143-0001 大田区東海1-3-1 電話 03-5755-2833 FAX 03-3790-5866 http://www.r

    itojunさんの訃報を聞く - Blog::koyhoge::Tech
  • 訃報 - itojunさん : 404 Blog Not Found

    2007年10月31日02:05 カテゴリTribute 訃報 - itojunさん そんなばかな。 http://www.hoge.org/~koyama/itojun.txt 萩野純一郎(享年三十七歳)が10月29日、夜に永眠致しましたので慎んでご通知致します。itojun.org2007/10/11: 日工学院八王子キャンパスでIPv6について講演が決まりました。 (2007/11/22) まだまだこれからだっていうのに。ついこないだ私のblogにもコメントを残してらしたのに。 これまた今は亡きBSD Magazineの秋葉原焼肉夜話で会ったときのことが未だに思い出されます。 「ご冥福をお祈りする」といっても、彼が「冥界」を信じているとはとても思えないし、私もそのようなものは信じていないので、こういった社交辞令的なお悔やみの言葉を述べるのはむしろ不謹慎に思えます。 もう人には伝わ

    訃報 - itojunさん : 404 Blog Not Found
  • 【訃報】(第一報) 萩野純一郎(享年三十七歳)が10月29日、夜に永眠致しましたので慎んでご通知致します。

    itojunの弟さんより連絡を頂きました。 非常に残念です。 僕も詳しい事は分からないのですが、とりあえず第一報です。 ちょーけんじろー <訃報のご連絡> 萩野純一郎(享年三十七歳)が10月29日、夜に永眠致しましたので慎んでご通知致します。 通夜 11月6日(火) 18時? 告別式 11月7日(水) 11時? 喪主 萩野久美子(故人・純一郎の母) 場所 臨海斎場 〒143-0001 大田区東海1-3-1 電話 03-5755-2833 FAX 03-3790-5866 http://www.rinkaisaijo.or.jp/info/index.html 供花のお問い合わせ、お申し込み ・株式会社 麻布葬祭 TEL:03-5318-2825 FAX:03-3389-7327 お手数でございますが故人がお世話になりました村井様並びに会社の方々に 宜しくお伝えくださいませ。 伊藤 正二郎

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