「モラハラ夫」という言葉が昼のワイドショーで騒がれ出してから、はや数年が経つ。そしていま、そんなモラルハラスメントの系譜に、また新たな項目が生まれつつある。その名も「リベラル男子」。リベラルとはもともと自由主義な思想のことを指し、多様性を受け入れる考えとして位置していたが、これが日本の男女間ではまたも「ジェンダー的」な泥沼関係を生んでいるのである。
母親と話してると3秒で不快になるので原因は何だ?と思って観察してみたんだけど、おそらく全てにおいて「スタンダードは常に自分」というスタンスで発話してるせいだな、と気付きがあった。ものすごい些細なことなんだけど卵かけご飯を食べる時に卵割ってカラザ取ったら→
カミムラ晋作 @kamimurake 制裁シーンを物語の中核に据えることで主人公が受ける制裁の悲惨さの効果を、大麻の正しい知識を与えることより優先してるように見える。それは教育の役割をマンガに持たせることのそもそもの危険性とも言えそうな。当然これが公に教育の目的で描かれたものでなければ別の話だけど。 カミムラ晋作 @kamimurake 虐めの肯定、とは思わないけど。これを最初に読んだ感想としては、大麻を吸うという行為を大麻の肉体への作用や法律的な問題などより、社会における私的な制裁(いじめや迫害)と地続きであるかのように優先的に接続しているのがちょっと気持ち悪いなと感じた。啓蒙というよりは煽動に近いような >RT
現在キン肉マン周りを騒がせている一連の騒動は非常にわかりづらいため一度整理させていただきたい。 今のキン肉マンは2011年から週プレNEWSというWEBサイトで「ネット連載」だけを続けていた。 紙の雑誌では一切連載されておらず、ネット連載のみの状態で9年間連載を続け「キン肉マンは今が一番面白い」と言われるほどの盛り上がりを見せた。 そして盛り上がりが繁栄されたのかキン肉マンは2020年8月より雑誌「週刊プレイボーイ」に紙の雑誌連載として復活する運びになった。 これにより「午前0時には公式HPで無料で読めるが 紙で読みたければプレイボーイを買う」という選択肢が生まれる つまり8月に雑誌に復活するまではキン肉マンファンが(単行本待ち組以外は)全員WEB連載を追いかけていたということをまず覚えておいてほしい。 そして雑誌復活以後、作者であるゆでたまご先生による「スクリーンショットが目に余る」とい
「たとえば」の3つの用法「たとえば」には3つの用法がある。 1.抽象的な物事を具体化する 2.ある物事を他の物事に喩える 3.仮定の場面を設定する ぼくらはこの区別を曖昧にしかしていないが、これら3つの用法はどれも物事を説明したり、理解する際に多用する。結果として「たとえば」という言葉も多用することになる。 「たとえば」というのは文法上は副詞で、漢字だと「例えば」と書く。「具体化する、具体『例』をだす」との繋がりはわかりやすいが、「たとえ話」については少し悩んでしまう。「譬える」「喩える」という漢字の方が個人的にはしっくりくる。でも「例える」という表現も多く使われているようだ。 ぼくの興味は漢字そのものよりも、1の具体例をあげることと、2のたとえ話をすることとの間にある機能的共通点と相違点にある。両者は全く異なる機能や構造を持っているのか、ある程度共通しているのか? 具体化の構造 具体化す
経済的独立すなわち自由は、世の中の仕組みを正しく理解し、最適な人生の戦略をデザインすることで、もっとも確実に達成できる。 世の中(世界)はどんな仕組みで動いているのだろう。そのなかで私たちは、どのように自分や家族の人生を設計(デザイン)していけばいいのだろうか。経済、社会から国際問題、自己啓発まで、さまざまな視点から「いまをいかに生きるか」を考えていきます。質問も随時受け付けます。 橘 玲の最新刊『幸福の「資本」論 あたなの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』好評発売中! 「幸福な人生」を送るために幸福を定義すると基盤となるのは3つの資本。その組み合わせで8つの人生パターンが考えられる。あなたが目指すべきはどの人生パターンか? ダイヤモンド社から発売中!(1,650円 税込) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【DIAMOND PREMIU
ヤバい思想、と言われると皆さんが思い浮かべるのはなんでしょうか。ファシズムや全体主義?差別主義?優性思想?それとも宗教的原理主義? この世に数多ある危険思想のなかで、ユダヤ人哲学者・思想家のハンナ・アーレントが最も重大視したのは「無思想」でした。 無思想、ノンポリ、無宗教…という「無属性」なステータスを自認していることは私たちの国では取り立てて珍しいものではありません。実際、多くの人は自分は「偏った考え方」に染まっておらず、「普通の感覚を持った/普通の日本人」であるというふうに考えています。よく異文化から揶揄されるように私たちは、「他の人と違う」ことに漠然とした恐怖を持っており、「普通であること」、そして「特定の立場や意見を主張しないこと」によって他の人たちとの温かい連帯関係の中に存在できます。 しかし実のところ、この「自分は普通の感覚を持っている」という自認こそが危険な状態だ、というのが
追記: この記事は「人が一生懸命書いた記事を読んでイライラする人間」を擁護するつもりは一切ありません。 追記: この記事は「自分の記事ではイライラさせたくないな」と思う人向けに執筆したのであって、この記事のあることをQiitaにあるすべての記事に矯正したいという思想のもとで執筆したものでは有りません。 はじめに こんにちは Qiitaやnoteといった情報共有に向いたサービスがどんどん普及しており、知識量に関係なく誰でも情報が発信できるいい時代になりましたね。 しかし、投稿されているすべての記事が良いと思えるわけではないのは確かです。タイトルに書いてあるものとは違う内容が書いてあったり、問題解決まで達していない結論で終わってたり。記事中の動かないコードを調べるために、そこから別の記事をはしごをして、それを繰り返していた結果業務時間が終わっていたり。 あまり私も人のことは言えませんが、いろん
エンジニアをやっている人の一定数は、歳をとるにしたがって技術についていけなくなります。技術にキャッチアップできなくなるエンジニアをよく観察すると、おおよそ三つに分かれます。 忙殺系 忙しさが故に技術から遠のいてしまい、キャッチアップできなくなるタイプ。 他殺系 周りに不確かな情報があふれていて、何が正しいのか分からなくなるタイプ。 自爆系 慢心や怠慢さ、自己満足で学習を止めてしまうタイプ。 分類の基準は、キャッチアップできなくなる原因がどこにあるかで分けています。キャッチアップできない人を自爆系と見る人が多いですが、よく見ると忙殺系、他殺系はかなりいます。 全てのエンジニアが幅広く最新技術にキャッチアップし続けるのは難しいです。ただ、キャッチアップできなくなる原因は、かならずしも自分にあるとも限りません。例えば、毎日終電まで残業し仕事をしているような状態では、技術のキャッチアップに時間も体
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