孫引用。やおい論の中には、やおいを性からの逃避、あるいは女性嫌悪と見なすものがあった。しかし厳密にみれば、やおいにおいて回避されているのは、性や女らしさではなく、女性を性的対象としてみる(性的対象としてしかみない)まなざしではないだろうか。藤本由香里「少年愛/やおい・BL」における、金田淳子「やおい同人誌 解釈共同体のポリティクス」引用、の再引用。確認=女性嫌悪に然るべき実体はない(それは神話のようなもんである)。「まなざし」が、あたかも嫌悪すべき何かがあるように女性をまなざす、のにすぎない。女性性を嫌悪するようなまなざしを内面化した者にとってだけ、女性嫌悪は実体をもってあらわれる。逆に言えば、女性嫌悪(性的存在としてのみ存在を許されている「女性」)の正体を「まなざし」だと見破れる者は、すでにまなざしの内面化から逃れ得ている。「女性嫌悪」である/ない、は、「まなざし」の内面化の濃淡の違いの