タグ

ブックマーク / tatsumi-kyotaro.hatenablog.com (6)

  • 弱者男性論とは何か? ~あてがえ論との関係~ - 京太郎のブログ

    0.弱者男性論とあてがえ論 1.弱者男性論の要素 その① 男性の収入 その② 社会に蔓延した価値観の批判? ③男性の孤独、男性はケアされていない? 2.現代はどういう時代か? 3. 弱者男性の弱者とは何か? 4.根的な解決について 【参考文献】 5.余談 0.弱者男性論とあてがえ論 この記事では弱者男性論の主張の背景について考えることを目的とする。 弱者男性論の主張を簡単にまとめると「男性の中にも弱者がおり、彼らは収入、容姿や学歴という“スペック”という面で弱者であり、ケアされるべきだ」というもので、弱者男性論を支持する層の中には所謂「女性をあてがえ論」と呼ばれる主張をする者もいる。 「女性をあてがえ論」は、“スペック”という面で劣っている弱者男性は恋愛でパートナーを得ることが難しいため、女性がそうした弱者男性を恋愛対象にするように制度設計をしようという主張だ。また、制度設計には言及しな

    弱者男性論とは何か? ~あてがえ論との関係~ - 京太郎のブログ
    rAdio
    rAdio 2022/04/19
  • 恋愛ができない非モテのこじらせはなぜ辛いのか? - 京太郎のブログ

    0.前置き 1.恋愛ができないことの辛さとは何か。 2.「お金で買えないかけがえのない価値」とは何か。 3.解決手段としての恋愛 4.生きづらさのありか。 5.今回の内容に関連する参考書籍 0.前置き ※今回は書いていて色々と思うところがあったためです・ます調で書いてます。 1.恋愛ができないことの辛さとは何か。 恋愛についての悩みは古今東西問わずある程度の人に共通する悩みと言えるでしょう。 想いの人と結ばれない悲恋の物語は古典から存在します。 しかし、恋愛ができないことや「非モテ」であることが問題であるように語られるのはある程度時代が進んでからでしょう。 中には恋愛ができないことで人生のほとんどの意味を失っているよう語る人もいるのではないでしょうか。今この文章を読んでいる人の中にも恋愛ができないことに悩んだりする人もいるでしょうし、たとえ自分がそうでなくても身の回りで恋愛ができないことで

    恋愛ができない非モテのこじらせはなぜ辛いのか? - 京太郎のブログ
    rAdio
    rAdio 2020/12/03
  • シーライオニングとネット論客の詭弁術 - 京太郎のブログ

    1.シーライオニングとは何か? 2.ネット論客のシーライオニング 3.悪質なシーライオニングの問題点。 3.1 追記 4.【関連記事&参考文献】 1.シーライオニングとは何か? 嫌われる行為の一つとしてシーライオニングというものがよく話題に挙がる。しかしこのシーライオニング、実は単に嫌われるというだけでなく様々な問題を含んでいるのではないだろうか。 今回は、シーライオニングとは何かという話と悪質なシーライオニングが蔓延することの問題点について考えていきたい。 まず、シーライオニング(sealioning)とはウェブ漫画家David Malki !の描いた漫画から派生して生まれた概念である(URL: https://wondermark.com/1k62/ )。 簡単に言うとシーライオニングとは、上の漫画のアシカ(シーライオン)がやっているようなことである。 漫画の内容としては、左上から ①

    シーライオニングとネット論客の詭弁術 - 京太郎のブログ
    rAdio
    rAdio 2020/07/19
  • 自己責任論と共感性 - 京太郎のブログ

    1.「優しい」自己責任論 2.寄付の物語 3.物語とナショナリズム 1.「優しい」自己責任論 現在の世論の中には、貧困問題や性被害の問題などは個人が解決すべき問題であるから社会全体の問題にするべきではないとするような自己責任論が存在している。 例えば、2000年代においては生活保護受給者に激しいバッシングが寄せられ、税金制度は実質罰金制度であるという論調が盛んであった。貧困を抱える連中は、貧困を避けられたはずなのに何もしなかったのが悪いのであって社会が生活保護などの社会保障を提供するという特別扱いをするべきではないという論理が広がっていた。 そうした論理の前提にあるのは、危険やリスクは事前に予測することが可能なのだから自分で対処すべきものだという考えである。障碍者が生まれながら抱えるハンデキャップも、貧困家庭の環境も、周囲の人間関係も自分で対処可能であるし対処できて当然だとする考えのことで

    自己責任論と共感性 - 京太郎のブログ
    rAdio
    rAdio 2019/11/27
  • 公共空間の消失とアイデンティティの時代を生きる - 京太郎のブログ

    0.なぜいま公共について考えるのか なぜ今公共概念を問う必要があるのかと言えば、公共という概念が消失しているということを通して「左翼と右翼の対立」を問い直す必要があるからだ。 私がこれから言及するリベラリズムという概念は一般に膾炙している「リベラリズム」とは少しずれた意味で使われているということである。というのも、一般的にリベラルという言葉は、かなり曖昧に、時に左翼という概念と混同されて語られているのである。政治学的な意味でのリベラリズムは、そうした一般的によく使われる「リベラリズム」とは少し違うのであるが、「左翼と右翼の対立」という図式が「リベラリズム」を左翼の類似物として同じ枠組みに入れてしまうのである。 よって、私がこれから一見してリベラルに対して批判的な見解を展開したとしてもそれはインターネットにいる知識人もどきの「リベラリスト批判」にそのまま接続するわけではないというわけではない

    公共空間の消失とアイデンティティの時代を生きる - 京太郎のブログ
    rAdio
    rAdio 2019/11/27
  • 偽善者叩き、偽善批判の偽善~しない善よりする偽善?~ - 京太郎のブログ

    1.エンタメ化する偽善バッシング 2.全ての弱者を支援することの不可能性 3.しない善よりする偽善? 4.うしろめたさと同居すること 1.エンタメ化する偽善バッシング 前回までの記事では、差別や貧困、犯罪などの数多くの社会問題がこの世界に存在することを認めたくない心理的傾向についての話をしてきた(↓参照)。 tatsumi-kyotaro.hatenablog.com 社会問題を自分たちが解決すべき問題として引き受けるには心理的な負担が発生する。 もしこの世界に多くの解決すべき問題があると知れば、良心的な人間は、自分も何かしなくてはいけないと思うだろう。だが、同時に社会問題のために何かをするのは面倒だし関わりたくない、ただ楽しく生きていたいというのも多くの人の心情だろう。 この世界には解決すべき多くの問題があるのに、自分は何もしていない。そうした自覚は、時に後ろめたさや罪悪感を生み出してし

    偽善者叩き、偽善批判の偽善~しない善よりする偽善?~ - 京太郎のブログ
    rAdio
    rAdio 2019/10/21
  • 1