先日の盛山和夫本の書評への追記的な記事。 社会学者や社会学理論のダブルスタンダード、もしくは「ブーメラン」と言われる現象について語ります。 盛山によるルーマン批判の要は”「内部にいる個人にとってあたかも社会システムが意味を付与しているかのように見える」ということと、「実際に、システムの側が意味を付与している」ということとが区別されていない~観察者がどこにいるか、彼にとって世界がどのように見えるか、ということと、世界が実際にどのようであるかということとは、原理的に区別されなければならない”という点にある。 この点に関しては賛同できる部分もあるのだが、フェアではない。ルーマンが「観察者にとって世界がどのように見えるか/世界が実際にどのようであるか」を区別していないわけではないからだ。ルーマンは、「どのように見えるか」の理論は「実際にどのようであるか」という現実に対して責任を引き受けねばならない