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短歌に関するr_coppeliaのブックマーク (7)

  • 違星北斗 北斗帖

    私の短歌 私の歌はいつも論説の二三句を並べた様にゴツゴツしたもの許りである。叙景的なものは至って少ない。一体どうした訳だろう。 公平無私とかありのまゝにとかを常に主張する自分だのに、歌に現われた所は全くアイヌの宣伝と弁明とに他ならない。それには幾多の情実もあるが、結局現代社会の欠陥が然らしめるのだ。そして住み心地よい北海道、争闘のない世界たらしめたい念願が迸り出るからである。殊更に作る心算で個性を無視した虚偽なものは歌いたくないのだ。 はしたないアイヌだけれど日のに 生れ合せた幸福を知る 滅び行くアイヌの為に起つアイヌ 違星北斗の瞳輝く 我はたゞアイヌであると自覚して 正しき道を踏めばよいのだ 新聞でアイヌの記事を読む毎に 切に苦しき我が思かな 今時のアイヌは純でなくなった 憧憬のコタンに悔ゆる此の頃 アイヌとして生きて死にたい願もて アイヌ絵を描く淋しい心 天地に伸びよ 栄えよ 誠もて

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  • 表象文化論研究室|東京大学

    最近どんな風の吹き回しか、『古今和歌集』を読んでいる。読んでいるなんておこがましい。つれづれに眺めているというのが実情に近い。自慢するわけではないが、ぼくは日の古典なぞ高校の古文以来久しく目にしたこともないのだ。その古文の時間だって怪しいもので、まともに勉強したこともない。だから古文の素養などからっきしないのである。わざわざ赤っ恥をさらすこともないので、これ以上は書かないが、正直言ってぼくには古典など読めやしないのだ。 では、なぜ『古今集』などというものを開いてみようと思ったのか。これには理由がある。ボケ防止のためだ。すでにボケている人間にボケ防止などできようかと問われると、これもボケた頭にはわからない。 ともかく最近とみに物忘れがはげしいものだから、これはなんとかせねばと思ったのはたしかだ。巷間あふれている脳活性化なんとやらに刺激を受けたのかもしれない。何か一つ覚える努力をしてみようと

    r_coppelia
    r_coppelia 2010/01/18
    江戸の人間でも、『古今集』を読んでもわからない人が出てきていたらしい。そこで宣長先生、それではワタクシがわかるように現代語に(ということは江戸のことばに)訳して進ぜようと、訳しちゃったのである"
  • 正広 千人万首

    近江源氏佐々木氏の一族、松下氏の出。正晃・正晄とも。別号晴雲。 初め東福寺に所属したらしい。十三歳の時、正徹に入門し、以後、師の没する長禄三年(1459)まで親しく仕え、教えを受けた。正徹没後、招月庵を継承し、師の遺草を集めて『草根集』を編纂する。応仁の乱のため都を離れ、奈良・関東・北陸等を放浪したが、その間も各地の歌会・歌合に招かれ、判者を務めるなどした。将軍足利義尚に和歌を指導したこともある。最晩年まで創作力は衰えなかったが、明応二年~三年頃、亡くなったと推測される。代表作「小簾のとにひとりや月の更けぬらん日比の袖の涙たづねて」に因み、「日比(ひごろ)の正広」の通称があった。 康正三年(1457)九月の招月庵一門とその歌友が集まった「武家歌合」、文明十四年(1482)六月の将軍足利義尚開催の「将軍家歌合」などに参加。家集『松下集』があり、文明六、七年頃の詠を集めた『正広詠歌』、文明五年

  • http://twitter.com/belnadette/status/3456006655

    r_coppelia
    r_coppelia 2009/08/22
    "takubokuはbotなの?石川啄木で好きなのは、「一度でも われに頭を下げさせし 人みな死ねと 祈りてしこと」です。"
  • http://twitter.com/twittanka

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    r_coppelia
    r_coppelia 2008/11/03
    「庭先に耳掻き植えてたんぽぽの綿毛咲いたと喜んでいる‎」「ブランコを二人で乗った思い出を作りたくなり犬とブランコ」「もういない犬と一緒に公園で遊んでた夏ゆれるブランコ」
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