50代以降を幸せに生きるために大事な心がまえとは何か。老年精神科医の和田秀樹さんは「50歳を過ぎたら他人との競争よりも自己愛を大事にするといい。自己心理学では、自己愛は3つの種類に分けられる」という――。 【写真】アルフレッド・アドラー ※本稿は、和田秀樹『50代うつよけレッスン』(朝日新書)の一部を再編集したものです。 ■自己愛の満たされ方には3種ある 50代以降の人生では、自己愛が大切です。 「自己愛」というのは「自分が大事である」という心理全般のことですが、自己心理学の始祖であるハインツ・コフート(1913~1981)は、人の自己愛の満たされ方には3つの種類があると言いました。 一つは、人から褒めてもらうとか認めてもらうことによって自己愛を充たす「鏡自己対象転移」です。主に自分に注目してくれる親や養育者、つまり「鏡」のように自分を見てくれる存在が、その人の野心を育てます。 二つ目は、
スイスのある施設のベッドに横たわったその男性は、40年にわたる生涯を自ら閉じ、旅立とうとしていた。枕元のスマートフォンからは、自身が最期に選んだ曲「ラ・リベルテ(自由を)」が流れている。医師は点滴に致死薬を投入し、その準備を終えた。 【映像】「安楽死」を考える 「生きるのを諦めた」男性の選択、スイスで最期を迎えた日本人、「生を選ぶ社会に」難病患者の訴え【報道特集】 医師:「この病院に来た理由は何ですか」 男性:「安楽死するためです」 医師:「点滴を開けたら、何が起こるか理解していますか」 男性:「静かに眠りに入り、数分後に心臓が止まります」 医師:「そうです。あなたの心臓は止まって死にます」 男性:「はい」 四肢麻痺の男性は、鼻で点滴のストッパーを開けた。致死薬が体内に徐々に投入されていく。やがて、彼は永遠の眠りについた。つい先ほどまで、私に笑顔を見せて話してくれた男性が、わずか数分後に眠
こんにちは、えらせんです。 今回は「一生忘れないでほしい考え方」というテーマで話していきます。幸せな人生を歩んでいくために、ぜひ覚えておいてほしい大切な考え方をまとめてみました。 1. この世はバカにされる人ほど成長し、バカにする人ほど落ちてゆく「バカにされる経験こそ、成長のチャンス」だと僕は考えています。バカにされることで、自分の弱点に気づき、克服しようと努力できるからです。一方、人をバカにする人は、いずれ自分の傲慢さが仇となって落ちていくことが多いので放っておきましょう。 2. 嫌いな人と関わるほど人生は長くないし、大切な人との時間を削るほど人生は短くない嫌いな人と関わっていると、ストレスがたまって時間がもったいないです。でも、大切な人と過ごす時間は、いくらあっても足りないと感じられるもの。だから、大切な人との時間を何よりも大事にすることが、充実した人生を送るコツだと思います。 3.
能登半島地震から100日余り。直後に発生した大規模な通信の途絶は、救助や復旧作業に甚大な影響を与え、孤立集落では必要な情報が届かず、被災状況すらつかめないという課題が浮き彫りになった。こうした事態に備える手立てはないのか。能登半島地震を踏まえた新たな通信技術の可能性を取材した。(サイエンスジャーナリスト・緑慎也/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 今年の元日に発生した能登半島地震。道路や電気、水道などさまざまなインフラが途絶えたが、その中でも大きな影響があったのが通信だ。テレビ各局のニュース動画には多くの被災者の声が残っている。 「携帯電話がね、非常時に使えない。何のための携帯電話かなという気がしてならない」(1月4日、輪島市、75歳、男性) 「携帯電話も山のずっと上のほう、ここから3キロくらいかかる頂上まで行って初めてつながるんです」(1月9日、輪島市、77歳、男性) 「母親
自分の役目を自覚するきっかけとなった中継とは…「なんでも中継」が評判となり、さらなるウケを狙って始めたのが「隠しマイク作戦」だった。袖にマイクを仕込んで街なかから生中継をする。中継車はかなり離れたところに待機する。いわば「どっきりカメラ」のラジオ版だ。 「キャバレー突撃体験」や「ピンクサロン潜入ルポ」。女装して新宿駅前の靴店に行ったこともあれば、ビキニの女性のへそ形を採るために真夏の海水浴場を白衣とネクタイ姿で歩き回ったこともある。今だとプライバシーや人権上の問題でできない企画ばかりだが、あんなスリリングで面白い体験はなかった。 ホームレスに扮して中継したときは大問題になった。よれよれの格好をして銀座・三越の前にゴザを敷いて座り込む。イヤホンを付けられないので、オンエアがいつ始まるかわからない。遠く離れた所でディレクターがハンカチを振るのを合図にオンエア開始。歩き出すと通行人はよける。お店
小田が74歳から75歳にかけて行われた全国ツアーの全行程に同行したツアーコラムを挟みながら、小田和正の、誕生から2023年の現在までの人生を、本人はもとより、その親族、友人、元オフコースメンバーはじめ音楽関係者たち、さらに多くのスタッフの証言から紡いだ物語が『空と風と時と 小田和正の世界』である。音楽の神様に導かれ、ストイックなまでに自分の音楽を追求してきた、決して器用とも順調ともいえなかった小田和正の音楽人生の記録である。 【画像】 音楽が変質する中で小田和正が感じていたこととは バンドとなったオフコースは、鈴木(康博)がやりたい音楽から離れていったということだろうか。実際、鈴木は2022年のツアーパンフレット「Yasuhiro Suzuki 50(+2)th Anniversary」のなかで自らの音楽人生を振り返っているが、5人オフコース時代について、こんな発言をしている。そのまま引用
2024年に新NISAがスタートすることもあって、金融業界ではそろって「老後の安心な生活のために資産形成をしよう」と大合唱になっています。でも、本当に資産がないと安心な生活ができないのでしょうか。「もちろんお金があったほうがいいに決まっている」という声が聞こえてくるように思いますが、その一方で「お金があったからといって幸せとは言えない」といった指摘もありそうです。 【図で見る】生活全般、健康水準、仕事・やりがい、人間関係、資産水準の満足度で最も平均満足度が低かったのは? フィンウェル研究所では、毎年「60代6000人の声」と題してアンケート調査をしています。この世代のことを知ることが、現役の人たちにとっての将来を読み解くカギになるかもしれません。60代の生活満足度に関する声を拾ってみると、お金と生活の満足度のちょっと不思議な関係が見えてきます。 ■自分の生活の満足度を考えてみよう まずは「
こんにちは!ほんやく検定1級翻訳士の鈴木隆矢です。 今回はモハメド・アリの名言をご紹介します。モハメド・アリ(1942~2016年)はアメリカの伝説的なプロボクサーで、通算3度の世界チャンピオンに輝き、19度の防衛を果たしました。 今回は、自信が持てない人に届けたいモハメド・アリの名言をご紹介します。 自信が持てない人へ。モハメド・アリの名言「50歳になった時、20歳の…」英語&和訳“A man who views the world the same at fifty as he did at twenty has wasted thirty years of his life.” 「50歳になった時、20歳の時と同じように世の中を見ているなら、人生の30年を無駄にしたということだ」 Muhammad Ali(モハメド・アリ) 自分の考え方がガラッと変わる出来事が20代の頃にあったのです
こんにちは、えらせんです。 今日は人間関係で悩みがちなあなたのために、記事を書いていこうと思います。いつの時代も突き詰めれば、人の悩みというのは「お金か、人間関係」のふたつに行き着きます。人間関係で悩むのはごく当たり前なこと。では、どうしたら悩みをなくすことができるのかを紹介していきます。 人間関係は取捨選択していい「友達に対してはいつでも優しく対応しないといけない」と考えてしまうこともありますが、それによってあなたがしんどいなら捨てていい価値観です。一度できた友達でも、タイミングによって疎遠になったり、親密になったりするものです。「一生友達だ!」とその時は思っていても、人生のステージが変わると、一旦疎遠になることは普通です。自分にプラスがない関係は遠ざけてOKです。 問題は解決しないで、逃げてもいい人間関係で問題が発生したとき、それに向き合わない人は否定されがちです。しかし、本当にあなた
「何となく『丸くて優しい、善良な人』みたいなイメージがあるかもしれないですけど、僕はそういう人じゃないので。裏ではボロクソ言うときもあるしね。別に『善良な人』だと思ってくれてもいいですし、逆に『実は腹黒い』と言う人もいるだろうから、それはそれでも別に全然いい」 爆笑問題といえば、暴走し毒舌を吐く太田光とそれを止める常識人の田中裕二、というのが世間一般のイメージだろう。だが、ラジオなどを聴くとそれが「誤解」だと分かる。たとえば『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)に鬼越トマホークがゲスト出演した際も、毒舌をまき散らす彼らを抑えようとしていたのは太田で、煽っていたのが田中だった。 漫才師はMCとしていくつも番組を抱えるようになると、漫才をやらなくなる。しかし、爆笑問題は今でも舞台に立ち、テレビでも漫才を続けている異色のコンビだ。 「漫才は、すぐにでもやめたい(笑)。ネタ作りも本番も緊張するしツ
この秋、SUGIZOは中東を旅した。9月下旬から約2週間かけてイラクとヨルダンの難民キャンプを回り、自身のソロプロジェクト「COSMIC DANCE QUARTET(C.D.Q.)」や難民キャンプ専用3人組ユニット「BABAGANOUJ(ババガヌージュ)」によるライブを通して、難民たちと交流した。 「お客さんのなかには、ステージに上がってきて、僕の横で写真を撮ろうとする若い子もいました。彼らにはまだエンターテインメントを楽しむ上でのモラルがない。でも、かつて若者が革命を求めていたような60年代から70年代のロックって、ああいう制御不能のエネルギーで盛り上がっていたんだと思います」
今年6月に端を発した吉本興業の“闇営業騒動”。その中心人物となったのがお笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮さん(47)でした。騒動発生から騒動を複雑化させたウソ、いきなりの会見、そして今の思い―。相方の田村淳さん(45)が「なんでも聞いてください」と、一連の騒動の舞台裏を初めて明かしました。 このウソは大変なことになる “闇営業”の記事が出ると聞いた時、すぐ亮に電話をしました。当然、相手が反社会勢力とは知らずにそういう場所に行ったんだろうなと。それは思った通りだったんですけど、お金のことを尋ねたら「もらっていない」と。 瞬間的に思ったのは「こんな場に行って、もらってないってある?それは信じられない」ということでしたし、それを亮にも言いました。それでも「もらっていない」と。 ただ、これはTwitterでも書いたんですけど、僕の知ってる亮はウソをつくヤツじゃない。そんな思いが根底にあ
Office365にまた障害が発生しているようだ。Office365等の稼働状況等を伝えるTwitterアカウント @MSFT365Status がアクセス障害が発生しており、現在原因調査中と投稿としている。筆者もOffice365にアクセスしたが、通信が安定しない状況となっている。Microsoft 365 Service health statusによれば、現在複数のMicrosoft 365サービスでアクセスしづらい状況等の発生を確認しており、現在調査中とのこと。 ・本事象を伝える、status.office.com MS365への通信異常を伝える告知。出典:マイクロソフト https://status.office.com/--Microsoft 365 Service health status 筆者意訳-- タイトル:Microsoft365管理センターアクセスの問題 開始時間
「風をしのぐために避難場所の外にいただけでも、ここは入り口だから移動してくれと言われた。お前らは人間じゃない、と言われてるようだったね。私たちも人間ですよ」 台風19号が東京を襲った12日、上野公園で一夜を過ごした路上生活を送る男性(79)はこう話す。 男性が野宿をしたのは、台東区が外国人観光客や日本人の帰宅困難者が避難できる場所として解放した、東京文化会館の裏だった。 台東区の災害対策本部は「住所がない」という理由で12日、路上生活者に対し自主避難所の利用を断った。【 BuzzFeed Japan / 冨田すみれ子 】 男性は12日午後、迫ってくる台風の夜をどこで過ごすか、他に上野公園で野宿をしている人たちと話し合い、その中で「自主避難所」という選択肢も話題に上がったという。 「避難所に行こうか話し合ったけど、たぶんダメだろうと一人が言い出した。話し合っているうちに、上野公園から一番近い
千葉県富津(ふっつ)市で、台風15号の被災者にペットボトル水が配られた。そのうち約1800本が賞味期限切れだったため、市民からの指摘を受けて富津市がお詫びし、「飲用ではなく生活用水として使ってほしい」と呼びかけていると、2019年9月12日付の東京新聞夕刊が報じている。 『賞味期限切れ「飲料水」配布 富津市、生活用水用を誤って1800本』 ペットボトル水の賞味期限は飲めなくなる期限ではなく、通気性のあるペットボトルから水が蒸発し内容量が変わるための「期限」2019年7月29日付の熊本日日新聞では、熊本市が、ほぼ賞味期限切れの130トンの備蓄水に困っており、花壇の水やりや、足を洗うなどに使っていると報じていた。 その際、筆者は、「なぜ賞味期限切れの水は十分飲めるのに賞味期限表示がされているのか?ほとんどの人が知らないその理由とは」という記事を書いた。 ペットボトルの水に表示されている賞味期限
映画監督、作家としても活動するお笑いコンビ「品川庄司」の品川祐さん(47)。クラウドファンディングで製作資金を募る映画「リスタート」(来春、沖縄国際映画祭から公開予定)でも監督を務めています。オンラインサロン「シナガワえんためクリエイト」やYouTubeなど新たな手段での発信にも乗り出していますが、品川さんを衝き動かしてきた原動力は“2種類の悔しさ”だと言います。 映画監督と芸人 中学の頃からレンタルビデオが盛んになってきて、借りてきて映画を見る。高校を中退してからは一日中、映画館にいる。その頃から「いつか映画を撮りたい」という思いはしっかりとありました。 そんな中、17歳の時でした。「ダウンタウン」さんの漫才を見て、芸人への思いが強烈に出てきたんです。また、ちょうどその時期にビートたけしさんが北野武として映画「その男、凶暴につき」(1989年)を監督された。 芸人の成功って、たとえば冠番
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く