ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (2)

  • 「はてなダイアリー」の気持ちを思い出したい - シロクマの屑籠

    こんな時だからこそ多くの人に日記を書いてほしい……ウェブ日記に日々の淡々とした記録を、言葉を残すんや……今はSNSとちゃう、インターネット日記の言葉が状況に合うんや……ほんまやで……— 平民金子 (@heimin) 2020年4月1日 そうですね。こんな時だからこそ日記のようにブログを書きたい、SNSでみんなと不安をシェアしながら囀るより、自分の場所に籠って自分のことを書けたらいいですね。せっかく自分のブログがあるんだし。 その昔、「はてなダイアリー」というサービスがあった。まだブログという言葉が広まるか広まらないかの頃に誕生したサービスで、まさにダイアリーとしか言いようのない使い方をしているユーザーがたくさんいたという。私も、自分のはてなダイアリーを持ってからは日記のような文章をたくさん書いていた。いつしか、私は内向的な日記から常連さんに読んでもらうための文章へ、見知らぬ不特定多数が読む

    「はてなダイアリー」の気持ちを思い出したい - シロクマの屑籠
  • "「萌え」の時代から「推し」の時代へ"について - シロクマの屑籠

    オタクの"界隈"で「萌える」という言葉を見かけなくなって久しい。 かわりに、「推し」という言葉を見かけるようになった。 このことについてtwitterの片隅で幾つかの意見を見かけ、私も何か書き残したくなったので、先週の続きとして書いてみる。 「推し」という言葉は、どちらかといえば実在アイドル方面で用いられてきた言葉だったと記憶している。アニメやギャルゲーのキャラクターに対して「萌える」という言葉が頻繁に使われていた90年代後半~00年代中盤にかけて、「推し」という言葉は"界隈"ではマイナーで、いわゆる二次元の美少女キャラクターは専ら「萌える」対象だった。 「萌える」という言葉は『電車男』が流行した2005年以降はニュアンスが単純化していったけれども、もともとは多義的なニュアンスを含んだ言葉だった。 「萌える」という表現がオタク達のボソボソオタク談義のなかで広がった要因のひとつに、「エロい」

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