インターネットそのものは別にコミュニケーションツールとして成立したわけではないけれども、現時点でのメインの用途(特に個人にとっては)であるインターネットを介したコミュニケーションにここまでエラーが生じるのを見ていると何かを間違えてしまったのではないかという思いは禁じ得ない。 ある種の人にとってこれは抑圧からの開放だけれども、抑圧というのは社会にとってはルールであり、暗黙の了解であるものだし、それをいかにして開放するかということについては実際の所慎重になるべきことはたくさんある。 素朴な差別的言動と、原理主義的な反差別(ここにも実は素朴な差別的言動が無批判に存在している)が戦っているのを見て原理主義的な反差別の側に立てないのは結果としてコミュニケーションの場においてコミュニケーションを拒否しているように見えるから、というのもあるし、そこに闘争を見てしまうと手段としての正しさを失っているように