これから暴論を書きます。 日本語におけるいわゆるプロフェッショナルという言葉には高度に専門的な、というようなニュアンスが含有されていることが多いけれども、こと仕事という点にフォーカスして考えるとそれによって食っていくのがプロであり、一般的な会社員もある種のプロだし、プロだからという点をもって仕事が保証されるということは一切ないのである。 スポーツや芸術分野におけるプロはわりとプロであることを特別視しがちだが、そんなことはない。彼らはもしかしたら「才能と努力の結果」がプロであると思っているのかもしれない。あるいは、一度到達した地点のことを。でも、世の中に必要とされるプロは「今そこで結果を出す」プロである。 例えば僕のいるIT業界だって多分に日本語的なプロフェッショナルを必要とする仕事である。かつて、一人ひとりが専門家でなければ仕事にならなかった。今はどうか。大半の従事者は自分で考えることが極