エミール・ミハイ・シオラン(Emil Mihai Cioran、1911年4月8日 - 1995年6月20日)は、ルーマニアの作家、思想家。若年期のエクスタシー経験と、メランコリー、鬱、不眠など、生涯にわたる精神的苦悩をもとに特異なニヒリズム的思索を展開した。姓のルーマニア語読みはチョラン。 オーストリア=ハンガリー帝国のトランシルバニア地方、セベン県レシナール(のちのルーマニア、シビウ県ラシナリ(シビウの南方))に、ルーマニア人家庭の息子として生まれる。父エミリアンはルーマニア正教司祭、母エルヴィラ(旧姓コマニチ)は男爵位を持つ地方貴族の出身[1]。姉ヴィルジニア、弟アウレルを持つ三人姉弟の長男だった[1]。姓の読みはルーマニア語ではチョラン。シオランは、シビウ、ブカレスト、ベルリンなどに住み、パリで歿した。 エミール少年は故郷で幸福な少年時代を過ごした。「私の少年時代よりも幸福な少年時
中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、日本の哲学者、作家。元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。 経歴[編集] 1946年、福岡県門司市生まれ[1]。1965年、神奈川県立川崎高等学校を卒業。東京大学文科I類に入学した。1971年、東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業。その後は同大学大学院人文科学研究科に進んだ。1973年、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を退学。東京大学法学部に移って1976年に卒業した。1977年、 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を修了し、文学修士号を取得。その後、オーストリアに渡り、1983年にウィーン大学基礎総合学部哲学科を修了し、ウィーン大学に学位論文『カントの時間構成の理論』を提出して哲学博士号を取得。 翌1984年、東京大学教養学部助手に採用。1987年、帝
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