噛み合わなかった俺の人生 髀肉の嘆を託つ(ひにくのたんをかこつ)という言葉がある。三国志の劉備が、志を忘れ安穏な生活を送るうちに、ふとももに贅肉がついてしまったことに気づき、これではいかんと発起したという故事だ。 俺も髀肉の嘆を託ったことがある。引きこもっているときだ。ふと、洋式便座に座っているとき、自分のふとももが妙にだらしないことに気づいたのだ。俺も、これではいかんと思った。思って、俺はヒンズースクワットを日課にした。 俺は即物的な人間で、いまいち比喩というものがわかっていない節がある。たとえとか、なぞらえとか、回りくどいのは苦手なんだ。 思えば、俺は歯を食いしばって努力した、何かを成し遂げたという経験がない。なぜだろうか。そうだ、俺の歯の噛み合わせが悪いからだ。歯医者で「歯を噛み合わせてください」と言われても、「え、どのポイントで?」という歯並びだ。 矯正という選択肢はあった。小学校