多摩丘陵は武蔵の国府(府中)から眺めると横に長く連なる山々でした。 夕暮れ時にシルエットとして浮かぶその美しい姿は、まんようじだいの人々から「多摩の横山」、「眉引き山」などとも呼ばれていました。 多摩丘陵の尾根道に当るこの道を「多摩よこやまの道」と名付け、散策路として整備しました。この尾根道は古代より武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また西国と東国を結ぶ交通の要衝として活用されてきました。 この東西に伸びる尾根筋には鎌倉古道(古街道)が南北に交差し、その痕跡が各所に残され、またさまざまな伝説等も語り継がれています。 古代~中世~江戸時代に渡って政治、軍事、文化、産業、社寺参詣などを目的として、東国西国間の交易を行う商人や武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人・官人、また幕末には新選組ゆかりの人々も行き来したと推測され、歴史とロマンを感じることのできる道です。