2006年8月24日のブックマーク (6件)

  • ウィンドバード::Recreation - 図で見るブログと2chの違い(とネットイナゴの話)

    ブログの場合 ブロゴスフィアでの論争は、基的には一騎打ちです。ブロガーたちは自分のハンドルネームとプロフィールを公開し、エントリにパーマリンクを用意し、挑戦状代わりにトラックバックを送ってから、正々堂々と決闘します。それを見てブックマーカーたちは好き勝手なことを言いますが、あくまで野次程度のもので、彼らが闘技場まで降りることはありません。当事者間のことは当事者間で解決すべし、というスタンスです。 2chの場合 いわゆる2的空間*1では決闘は行われません。2ちゃんねらーはいちおう闘技場に上りますが、彼らは対戦相手を言い負かすことよりも観客席へのアピールを熱心に行います。たとえばそれらしいソースを用意してみたり、あるいはガイドラインによって相手の論理を詭弁っぽく見せたり。最終的には、より多くのROMを納得させた方が勝ちとなります。対戦相手を言い負かす必要はなく、2的空間での審判はROMの人た

    ウィンドバード::Recreation - 図で見るブログと2chの違い(とネットイナゴの話)
    rangelife422
    rangelife422 2006/08/24
    ほほほほほーーーぅ。なるほどなぁ。
  • fromdusktildawn氏の回答 - 人力検索はてな【どうして勉強しなきゃいけないの?】

    【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられました。 将来私も人の親になるのだろうし、自分も相手も十二分に納得できる答えとは何なのだろうと改めて思います。 どうして勉強しなければいけないのですか? ・学歴社会を勝ち抜くため ・大人になって社会で働くときに困らないため ・自分の興味・趣味嗜好を存分に追求できるように 系は間に合っていますので、何か、もっと深く納得できてかつ平易な(こどもに説いて聞かせることが可能な)論があればご教授願いたいです。

    rangelife422
    rangelife422 2006/08/24
    いいねぇ、コレ。学校教育の方法では勉強を楽しめない子供に、どうやって勉強の楽しさを伝えるのか、ってのが教師の面白い所だと思う。ま、教育委員会はそんな人あんまり求めてないみたいだけど。
  • 国を愛するということ - finalventの日記

    ⇒H-Yamaguchi.net: 「愛国者」の3つの責務 ちょっと意外な感じがした。もしかして「社会」と「国家」の違いをわかってないのかもしれないなという印象を持った。 あるいは、共同体と国家の違いというべきか。あるいは、そんなものはないよということなのか。あるいは、啓蒙の文章を書くとき掬われる典型的なことというだけなのか。 共同体は直接的な愛情なり信頼感なりで結ばれる。ルールであっても会衆として向き合うことができる。国家はその延長にはない。国家はまず権力として現れる。その権力をどのように公的な正義とするかが問われる。民主主義とは会衆の原理ではなく、国家の原理なのだ。多数決は会衆の手法の一つだが、国家はそれで動かされてはならないために各種の制度を持つ。くどいがこの権力を公的に正義とするために押さえ込む制度を作り上げることが民主主義の質。 その意味で、すこし言い過ぎだが、国家とは法であり

  • 子猫を殺すこと - uumin3の日記

    生命倫理のアポリアの多くは「線引き問題」と言ってよいと考えています。どこからどこまでをどうカテゴライズするか、そしてその基準に何を用い説得的な議論をするか、その当否が単純に決められないのが難題なのです。これには「線引き」がアプリオリなものでない(後付けということにもなりましょうか…)ということが以って関わることだと思います。 おととい以来、某作家が子を殺しているという記事が話題になっています(最初に知ったサイト)。この方は、避妊(去勢)が飼いの生に対する干渉として耐え難く思い、産む度に子を殺すという選択をしているとおっしゃっている方です(この記述自体のフィクション性は解りませんし、ここでは問いません)。 犬を飼い、かつ避妊させていた人間として、この話は胸に突き刺さってくるところを持ちます。一概にこの方の行動を責めるということも、し難いとさえ思われます。苦慮した上での結論だと思います(

    子猫を殺すこと - uumin3の日記
  • 未映子の純粋悲性批判: 子猫を殺し続ければよろしい

    作家の坂東眞砂子さんという人が日常的に子を殺しているのだそうだ。 なぜ殺してはいけないかという「なぜころ問題」についてちょっとでも考えたことがあれば、殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく、あらゆる命は等しく無価値(by新井英樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」)であり、そのとき折々の関係性で成立するもんであって、つまりオール時価なわけだ。坂東さんのように生まれたしりから子を崖にぽいぽいと放り投げることが出来る人はそれが出来るのだから出来る人なんであって、そのことについて「がかわいそうニャ」とか「呪われろ!」とかを云っても書いても、気持ちはわかるが仕方ないんであって、坂東さんの住んでる地域では法律違反でもなさそうだし、どうにもならんな。 坂東さんは人間側から想像する<の生>を<生殖がすべてである>と解釈して代弁しつつ、尊重する手段として避妊手術を否定し「能の

    rangelife422
    rangelife422 2006/08/24
    ブラボー
  • http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060824i101.htm

    rangelife422
    rangelife422 2006/08/24
    発達障害の人々は以前から就労が困難で、ニートが後から出てきて取り込まれただけ。ミスリードにならなきゃ良いが。