ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (3)

  • 国を愛するということ - finalventの日記

    ⇒H-Yamaguchi.net: 「愛国者」の3つの責務 ちょっと意外な感じがした。もしかして「社会」と「国家」の違いをわかってないのかもしれないなという印象を持った。 あるいは、共同体と国家の違いというべきか。あるいは、そんなものはないよということなのか。あるいは、啓蒙の文章を書くとき掬われる典型的なことというだけなのか。 共同体は直接的な愛情なり信頼感なりで結ばれる。ルールであっても会衆として向き合うことができる。国家はその延長にはない。国家はまず権力として現れる。その権力をどのように公的な正義とするかが問われる。民主主義とは会衆の原理ではなく、国家の原理なのだ。多数決は会衆の手法の一つだが、国家はそれで動かされてはならないために各種の制度を持つ。くどいがこの権力を公的に正義とするために押さえ込む制度を作り上げることが民主主義の質。 その意味で、すこし言い過ぎだが、国家とは法であり

  • ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる - finalventの日記

    最初から議論ではなく旗幟のみが問われる問題――それこそが疑似問題なのだが――に関わるのはうんざりした気持ちになるのだが、やはり少しばかり言及しておこうと思う。何について? その前にそう思うに至ったきっかけから語りたい。 「日人とユダヤ人」(参照)にこういう指摘がある。 「朝鮮戦争は、日の資家が(もけるため)たくらんだものである」と平気で言う進歩的日人がいる。ああ何と無神経な人よ。そして世間知らずのお坊ちゃんよ。「日人もそれを認めている」となったら一体どうなるのだ。その言葉が、あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう。これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。その言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。 ここでのトピックは朝鮮戦争についてだが、関東大震災における朝鮮人虐殺に

    ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる - finalventの日記
    rangelife422
    rangelife422 2006/03/05
    finalventさんの言いたいことは判る。が、それが通じる人間がどれほどいるのか。歴史をその様に捉えられる人間がどれほどいるのか。それを危惧する。
  • あー、野暮を承知で明からさまに内田樹の悪口を書きますよ - finalventの日記

    注:このエントリ、ちょっと訂正・補足します。 ⇒内田樹の研究室: 捕虜と戦陣訓 しかし、日軍の捕虜たちはそうはしなかった。 彼らは捕虜になったとたんに人格を一変させてしまったのである。 ベネディクトが驚いたのは、これほど「勝者に媚びる捕虜」たちを見たことがなかったからである。 捕虜たちは嬉々として自軍の内情、兵の配備状況をことこまかに具申し、中には米軍の偵察機に同乗して、「あそこが弾薬庫で、あそこが司令部です」と逐一報告した兵士さえあった。 この変節の理由は簡単である。 戦陣訓がいうとおりに「勝敗は皇国の隆替に関」するというのがほんとうなら、皇軍が負けるということはイコール「皇国は滅亡した」ということである。 ならば皇軍を打ち破った軍隊こそが「百戦百勝の新たなる皇軍」であることは論理の経済が私たちを導く合理的結論である(現にその論理に従って、日は戦後60年間アメリカに仕えてきたではない

    あー、野暮を承知で明からさまに内田樹の悪口を書きますよ - finalventの日記
    rangelife422
    rangelife422 2005/12/26
    追記分とコメント重要
  • 1