■“「自分のことは、自分でやりなさい」と甘えは一切許さない母でした”母は興信所を経営し、若い頃は自ら調査業務も行う“女探偵”でした。特殊な職業であると同時に、1960〜70年代は仕事を持つ女性が珍しい時代ですから、母は働く女性のシンボル的な存在としてメディア取材を受けることも多く、そのうえ推理作家として執筆業も行っていたので、とにかくいつも忙しくしていましたね。 マリリン・モンローのピンナップ前でポーズをとる母・みどりさん。戦争に翻弄された体験から女性も自ら生き抜く力が必要と、戦後は自立の道へ。母の働く姿から常に自分で考え、行動することを学ぶ。親子水入らずの時間は少なかったが、母と娘は強い絆で結ばれていた。そんな母を誇らしく思う半面、母がそばにいない寂しさは常に感じていました。週末、時間があれば一緒にいてくれるとはいえ、平日は仕事を優先し、子どもの世話は家政婦さんに。一緒にいる時間が少なか
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