おしつけがましいのは、セールスマンなどは生活のためであるのでまだ情状酌量の余地があるのですが、勧誘、布教のたぐいは、まったくもって勘弁しがたいものがあります。 勧誘、布教に熱心な諸輩は、「真理」はただ一つだと思っていますので、彼らからすると、世の中の人は「真理」を知った祝福された人々と、まだ「真理」を知らない不幸な人々に二分されます。そこで親切な彼らは、俄然、不幸な人々を救いだそうと活動を始めるわけです。彼らの行為は、言葉の正しい意味での「確信犯」です。 果たして、その「真理」が真理であるかどうかは、それこそ神のみぞ知ることです。もし、その「真理」が真理であるにしても、真理を探究していった結果、自らが、その真理にたどり着く分にはいっこう構わないのですが、求めてもいないのに向こうからやって来るのは、余計なお世話というものです。 真理に至るには「機(会)」というものがあって、こちらにも、それを
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