サッカーの神様など居やしない。 そう確信する所以は、無くなることのない「膝の怪我」の多さからだ。 FC東京だけで見ても、ざっと挙げて石川直宏、米本拓司、森重真人、梶山陽平、さらには大竹洋平や、それこそ奥原崇まで。膝以外も含めていけば、苦い歴史はキリがない。 プレーを見せることで成立する「プロサッカー選手」という仕事を、ただ邪魔する存在でしかない「怪我」。特に、プレーの根幹となる膝の怪我ともなると、長期離脱もさることながら以降のプレーにも影響が出てしまいかねない。それは本人のみならず、華麗なプレーやひたむきな走りをずっと見続けていたい我々サポーターにとっても大きな損失。怪我という『不幸』を忌み嫌い、不幸が起こるたびに、サッカーの神様なんか居やしないんだと吐き捨て、絶望する。 しかし、それらの怪我は不幸なんかではなく「究極は怪我した選手自身が悪いのだ」と断じているのが、今回紹介する雑誌である。