このエントリで日本の大学には行くな、専門知識が身につかないから、と書いた。すると理系の人たちを中心に、「いや日本の大学でも専門知識は身につくよ」という反論をいただいた。確かに、理系ではかなり真面目に勉強をしているとは思う。しかしながら、特に経済学部・経営学部などを中心とする文系の学科では、真面目に勉強しない学生が多いのではないか。 私が卒業した東大経済学部は、入学時は「文科2類」と呼ばれる。「猫文2」と揶揄されていた。学生たちが猫と同じくらい怠け者で勉強しないという意味だ。とにかく学内に「一生懸命勉強しよう」という雰囲気がなかった。代返、ノートコピー、レポート丸写しが横行していた。日本の大学(とくに文系)は、学生たちに「勉強なんかしなくていいんだよ。大学でいろいろ難しいことを習うがそんなの社会にでて何の役にもたたないよ。知識を身につけ論理的な思考をするより、他者の顔色を見てうまく合わせる(
2010年に卒業する大学生の就職内定率は、昨年に比べ随分悪化しているようだ。 本コラムを書き始めた2年ほど前に比べ、就職状況を取り巻く環境は厳しいものとなったが、いつの時代も人生の本質は変わらない。 大学とは、己を磨く場であり、己をしっかり磨くことができれば、自ずと望みの人生を歩むことができるはずだ。今回からは、本コラムの原点となるテーマ、「学生時代の学び方」に立ち返り、学生生活において、いかに己を磨き、鍛えていくかを考察していきたい。 ●大学生活でまず最初に学ぶべきは、哲学・クリティカルシンキング 学生時代に最初に学ぶべき学問は何かと尋ねられたら、学部・学科を問わず、「哲学・クリティカルシンキング」と答える。 哲学と聞いて、高校時代のイデアやロゴスという言葉を思い浮かべるかもしれない。しかし、私がここで述べる哲学とは、「哲学の歴史」ではなく、問いを立て、論理的に考え、真理に近づく
今回も教科書ネタ。 学生の論文には、読んでいて面白いものと、苦痛なもの指導しがいのあるものがあります。後者のような論文を書く学生は、論文についてこう考えていることが多いです。 興味のあることを見つけて、それについて文献を読み、それをまとめて、最後に自分の意見を書く。 こういう指導をされている先生方は意外に多いのではないかと思います(自分も昔はそうでした)。指導がラクだし。しかしこれは論文を書くときの方針にはなりませんし、してはダメです。 論文とは「研究成果」のアウトプットの1つです。少なくとも社会学における研究とは、解かれていない謎や決着のついていない問いを自分で見つけ出し、データ等の証拠を使ってそれに答えることです。(それ以外の論文もありますが、まず基本を抑えないとダメです。)上記のダメ方針は、研究と単なる勉強を取り違えているのです。 研究の手順は標準的に教えられているもので十分です。
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