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ブックマーク / satomies.hatenadiary.com (5)

  • ランボー再見の一番の動機 - リツエアクベバ

    ランボー再見の一番の動機は、「わからなかったから」、だと思う。いろいろな人のレビューを読んだ。でも違う、何か違う。と思った。 ランボーの新しい映画「ランボー 最後の戦場」は、多くを語らない。多くを語っているのは、ひたすら人間の体がぶっ飛ぶシーンばかりだ。首が飛ぶ、腕が飛ぶ、足が飛ぶ、人間の体が木っ端微塵になる。 では。といえば。ランボーは? ランボーは悩む。ランボーは決断する。でも、最初の決断にはシーンもセリフも少なすぎる。ただ、ランボーの表情のみ。時間も少ない。 そこで、(ああこういうことね)と言っちゃうには、あまりにも核心部分が少なすぎる。それはシーンの失敗なのか、と受け取る人も多いようだけれど、それは、なんというか、テメーが考えろ的にも受け取っているところがわたしにはあったと思う。饒舌過ぎたら失敗する、見せるものを見せつけて、そして引き算の手法。 ランボーの二番目の決断。ここでは自問

    ランボー再見の一番の動機 - リツエアクベバ
  • は〜、べっくらこいた - リツエアクベバ

    2008年7月28日更新分 今日は一日、お出かけしてました。帰宅して、は〜、べっくらこきまして。何が起きていますか?みたいな。 ブログペットにちょいと聞きまして。なになに、どのくらい動いたの? 訪問者で7000人越え、アクセスで一万越えですって。はてなブックマークってすごいのね。ずっと前にカトゆー家断絶のリンクで一日に4千だとか5千だとかのアクセスで、ひえ〜〜聞きしにまさる大騒ぎ、って思ってたのを越えるんだ、と。 その一日前にpollyannaさんと「少女パレアナ談義」をしていて。この「少女パレアナ」の中で、なんとも言えない気持ちがこみあげるときの表現に「喉に手をやる」というのがありまして。昨日の日記は車の中で、なんかどんどんこみあげてくるこの気持ちってのは、ああまさに「喉に手をやる」って感じだなあと思って書き留めておきたかった。要は単にそういう「日記」。 なんかすごいことになってる反応に

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  • 中学校の入学説明会と、ルールってヤツと - リツエアクベバ

    先日、息子が入学する学区の中学の入学説明会に出席。 携帯電話について。持ってくるのは禁止だということで。理由のひとつに紛失の場合責任が取れないということがあるそうで。バカ親に口あんぐりの話。 生徒が持ってきた携帯電話が紛失。保護者からクレーム。「携帯電話の中にある個人情報の漏洩ってのをどうしてくれるんだ」と。 持参禁止ですから、しかお答えできませんので。 他には、持ってきた携帯電話を他者にロックをかけられてしまういたずらというものもあります、などというお話。家庭の事情で持たせなければならないことがある場合は、個別にご相談ください、と。教育という言葉で強引に押してくるってのもなんだという場合もあるかもしれないけれど、困るのでよろしくと、保護者教育のような話。 当は「ダメなものはダメ」って言わなくちゃいけないことってのもあると思う。でもそれじゃ通用しないって時代の子どもが生まれているのかもし

    中学校の入学説明会と、ルールってヤツと - リツエアクベバ
    regicat
    regicat 2007/02/18
    親指でしか人に謝れない子どもが増えてきています」
  • 霞先生からトラックバック - リツエアクベバ

    いじめ」に関する一考察/特殊学級担任→養護学校教諭の“ここだけの話” 注目されるべきことが起きると、関連のあることに対して、なんでもかんでもその芽をほじり出すような魔女狩りは起きる。子どもの発達上、トラブルや仲間はずれというものが起きるのは、それは通るステップの一つのようにわたしも思う。子どもという言葉は、「あの人は子どもだから」という表現でもわかるように、人間性が未熟である、という意味であり、人間性が未熟であることから、もう何でもやる。特にペースメーカーになりやすい子どもは、「子ども」を簡単に従えることができる経験から、巧妙狡猾なやり方を会得していくところがある。 年齢が幼いと、こうしたパワーゲームに「一休み」なんてものが加わる要素がある。一休みふた休みしつつ、おいしいオヤツや楽しいイベントなんぞでトラブル自体をけろっと忘れて遊んでいる場合もある。ただしそれが全てではなく、幼いなりにも

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  • 文章表現による「見た目」 - リツエアクベバ

    「人は見た目が9割」というを読む。簡単に言えば半分面白くて半分つまらなかった。半分面白くて、ってのは発想と視点、半分つまらなかったってのは、その実証のための記述に関して無理やり持ってきたパズルのような感じでページが埋まっているようだったこと。 この「人は見た目が9割」ってことの「見た目」ってのは、別に持って生まれた容姿の美醜だのってことではなく、外見から入る情報が人に与える影響ってこと。同じことを伝えるのに「直立不動で正面切って相手を見据えて言う」のと、「小首かしげて微笑みながら言う」ってのでは、相手に与える印象と伝わり方に差違があるってこと。 で、コミュニケーションとしての「文字」。インターネット上では「小首かしげて微笑みながら」なんてことは、外見上ではできないわけで。それに代わるものはなんじゃろな、と。 ですます調、だ調、である調、なんてので、この「文字表現上の見た目」は変わる。断定

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