☆★☆★☆☆☆歴史タイムッス★☆☆★☆☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。
![『郡里廃寺(徳島県美馬市)』](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fdf7ffc798f0ffcb183864586f0ebf4f2808a343/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstat.profile.ameba.jp%2Fprofile_images%2F20230728%2F07%2F9e%2FY9%2Fg%2Fo01400140p_1690496787845_iib4q.gif)
加茂宮ノ前遺跡の竪穴住居跡の内外で、弥生時代中期後半~古墳時代前期初頭(1~3世紀)の水銀朱(すいぎんしゅ)が付いた石器15点と、朱の原料の辰砂(しんしゃ)原石10点が発見された。 遺跡の南西約kmロには辰砂の採掘遺跡として全国で唯一確認されている若杉山遺跡があり、同遺跡に関連する水銀朱の精製工房跡とみられ、25日午後1時から現地説明会があるという。[徳島新聞]
宝永南海地震(1707年)の際に小松島市で地盤沈下が起きていたことをうかがわせる古文書記録「仕上ル御請書物之事」が、徳島県立文書館収蔵品の中から発見された。 享保二十年(1735)に和田島村(小松島市)の大地主・分平が徳島藩に送った文書の控えとされ、地震による地盤沈下は昭和南海地震(1946年)の際にも県内各地でみられたが、過去にも繰り返されてきたことが推測でき、南海トラフ巨大地震対策の参考になりそうだという。
遺跡の南東には飛鳥時代(7世紀後半)に建てられた郡里廃寺跡(国史跡)があり、寺に関係する建物があった可能性が高く、本日午前10時から現地説明会があるという。[徳島新聞]
昭和二十一年(1946)十二月二十一日に起こった昭和南海地震で被災した光明寺の浅川義雄住職が、宗門トップの高野山(和歌山県)に賦課金の免除を懇願したことを示す書類「災害檀徒寺院賦課金減免願」の控えが発見された。 地震から約2か月後の昭和二十二年(1947)二月十五日に書かれたもので、「大津波に全町が飲み込まれ、その被害は言葉に言い表せないほどだ」「被害3千万円」「堤防が崩壊」などと詳述しているという。[徳島新聞]
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