★☆★☆☆☆☆歴史タイムッス☆☆☆★★☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。
濠(ほり)で囲まれた室町~江戸時代の旧市街の遺跡「堺環濠都市遺跡」で、中世の濠の一部や、江戸時代(17世紀半ば)の古伊万里などの陶磁器や鋳型が発見された。
下野郷の五間堀川と志賀沢川の合流地点脇にある下野郷館跡(たてあと)遺跡で、戦国~江戸時代(16世紀後半~17世紀)の建物跡と護岸施設跡が発見された。
石垣造りで戦国時代に名をはせた石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」の関わりが考えられ、周辺から安土城築城時の石切り場が見つかる可能性があるという。[読売新聞]
原爆投下で原爆ドームになっちまった広島県物産陳列館が落成した大正四年(1915)に同館で開かれた「県物産共進会」の名産品の配置図や絵葉書が江田島市の民家で発見された。 同会は、県物産陳列館の落成と大正天皇の即位を記念し、4月5日から40日間、陳列館と西練兵場(現在の県庁)を会場に開かれたもので、期間中に78万人が訪れたとされるという。[毎日新聞]
同時期の古墳から多量の鉄製品が発見されるのは東北で初めてで、6日午後1時から現地説明会があるという。[福島民報]
同庭園は江戸時代に徳島藩筆頭家老の稲田氏が別荘として作り、幕末に学問所「益習館」として利用されたたが、明治三年(1870)の庚午事変で建物は焼失していたという。[産経新聞]
長さ68cm、元重は刀の押形(おしがた。刀剣の形を紙に写し取ったもの)が残るのみで、長く「幻の刀鍛冶」といわれてきたという。[中日新聞]
弘前城天守台の上部には建物の土台となる礎石が置かれず、さまざまな年代の石材を敷いて、平らな面が作られていたことがわかった。
戦後間もない時期に根室管内の小規模へき地校に勤務した教師たちによる文集『根室単複』の原本が養老牛にある編集中心人物・森勇旧宅で発見された。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く