「武田軍、長篠城を猛攻ー!」 「武田軍本隊、寒狭川(豊川)を渡河し、設楽原に接近中ー!」 二十日、織田信長は軍議を開いた。 「とうとう武田が動き出したようじゃ。誰か、よい案はあるか?」 徳川家康が挙手した。 「忠次に案があると――」 「申せ」 「ははー」 家康の腹心・酒井忠次(さかいただつぐ。三河吉田城主)が地図を差して提案した。 ちなみに忠次の次男・康俊(やすとし。後の本多康俊)は人質として岐阜城で暮らしている。 「武田軍は進軍と城攻めによって後方が手薄になっておりまする。軍の一部を割いて鳶ヶ巣山の鳶ヶ巣砦を奇襲してはいかがかと――」 これには信長の臣・羽柴秀吉がワクワク喜んだ。 「さすがは酒井殿。おもしろいですなー」 秀吉は何か言おうとしたが、信長が一蹴(いっしゅう)した。 「みみっちい」 結局、忠次の提案は、鶴の一声で終わりになった。 忠次は自陣に戻ってからも残念がった。 じょーじょ
また、織田信長は三千丁(千丁とも)の鉄砲を効率よく撃つため、佐々成政(さっさなりまさ)・前田利家・塙重友(ばんしげとも。後の原田直政)・福富平左衛門(ふくとみへいざえもん)・野々村三十郎(ののむらさんじゅうろう)を鉄砲奉行に任命、連子川(連吾川)に沿って馬防柵を三重に張り、土塁も構築、空堀まで掘らせた。 連合軍の動きは、逐一武田軍に報告されていた。 「大賀弥四郎の謀叛は事前に発覚して処刑されましたー!」 「織田・徳川連合軍、設楽原西方へ着陣! 陣地を構築し、長篠城救出の機会をうかがっておりますー!」 十九日、武田勝頼は鳶ヶ巣山(とびがすやま。鳶ノ巣山)から眼下の敵状を視察した後、本陣・医王寺山で軍議を開いた(「長篠城付近対陣図」参照)。 勝頼が諸将に地図を示して切り出した。 「この配置を見る限り、敵は我が軍が攻めてくるのを待ち構えていると思われる。よって向こうから攻めてくることはないと思う
宇多天皇の治世を「寛平(かんぴょう)の治」といいます。 権勢家である父・藤原基経が死に、跡を継いだ私がまだ少年だったため、摂関政治が一服し、天皇親政が復活したのです。 しかし、宇多天皇はそれほど思うように執政していませんでした。彼には頭の上がらない人々が大勢いたのです。 それも女ばっか――。 まず挙げられるのは、彼の生母、皇太夫人(醍醐天皇即位後は皇太后)・班子女王(はんしじょおう)です。 「あんたはいくつになっても子供だねー。あんたがもっとしっかりしないことには、あたしゃ死のうにも死ねやしないわい」 いつの時代も母というものは子の私生活に介入してくるので(当然でしょうが)、厄介なものです。 しかも班子女王は特にツワモノでした。 高貴な方のくせに、自分でゼニを持って直接市場に買い物に行かないと気がすまない性格でもありました。 「やめてください! 買い物は我々下々の者がいたしますから~!」
中でも元天皇皇子の中納言・源光(みなもとのひかる)は怒りをあらわにしました。 光は名前からして『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされていますが、まだ遊び人・源融(とおる)らのほうがそれに近いと思われます。 「帝(みかど)はなぜ皇族出身である我らを差し置いて、公卿の末席の菅家だけに皇位の相談をしたのか?おかしいではないか!」 同じ元天皇皇子でも、大納言・源能有は寛容でした。 「そうかな。年からしても妥当な選定と思うが」 能有は摂関家と菅原氏両者の親類で、私とも先生とも親密でした。 もちろん、私と先生との間も親密でした。私は先生が参議になった記念に玉帯(ぎょくたい。貴族のベルト)を贈ったくらいです。私の弟・藤原忠平なんかはもっと親密で、先生の姪(めい)と結婚したくらいです。 だから私もこの時はまだ、先生のやることに腹の立つことはありませんでした。 一方、私の師・大蔵善行は怒りが収まり
こんにちは。本院大臣こと藤原時平です。 『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ。近松門左衛門作)』、読みました。 最悪ですね。 私って、あんなにワルなんでしょうか? 無理もありません。何しろ私は先生を裏切った男ですから。 そうです。人間というものは、最後に裏切った者が、誰よりも憎まれるものなんです。
うつものも討たるる者もかはらけよ くたけて後はもとのつちくれ ちなみに道寸は古今伝授で知られる東常縁(とうのつねより。「領土味」参照)の門弟と伝えられている。 永正十三年(1516)七月十一日辰の刻(午前八時頃)、道寸はこれでもかと城門を開け放たさせた。 「国盗人伊勢宗瑞を討ち取れー!」 「新九郎氏綱も血祭りに上げよー!」 「おー!」 で、義意以下生き残った百余騎を率いて、全軍弾丸のように打って出たのである。 小田原軍は驚いた。 「ウワー!こっちが攻める前に攻めて来たぞー!」 「血相変えて攻めてきたぞー!」 捨て身の三浦軍の猛攻に、小田原軍は二町(約二百二十メートル)ほど押し返された。 「ひるむなー!敵は小勢ぞー!」 が、小田原軍は強兵である。 多勢に無勢のため、程なくして三浦軍はまた押し戻された。 「大森越後守様、討ち死にー!」 「佐保田河内守・彦四郎様、討ち死にー!」 「三須三河守様も
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