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2014年1月9日のブックマーク (2件)

  • 私が誤解していた「守破離」の本質 | ストーリー思考のススメ

    「守・破・離」(しゅ・は・り)という言葉をご存知ですか? この言葉の質部分に関して自分が思い違いをしていたことに最近、気がつきました。 「守破離」は能楽を確立した世阿弥の教え。物事に通じていく段階を説明するさいによく使われています。 photo credit: blinkingidiot via photopin cc 一般的には次のように説明されています。 ・「守」は、師の教えをしっかりと守り、基を身につけることを徹底する段階 ・「破」は師の教えを破る行為を試して、自分なりの発展形を模索する段階 ・「離」は指導者のもとを離れ、自分自身で学んだ内容を発展させていく段階。 私もおおむね上記のように理解していました。 しかし「破」以降の説明は世阿弥が来その言葉にこめた意味の質とは外れているようです。 「破」を「破る」という風に理解することから、このあたりのズレが生まれてきたようで、

  • 守破離の来歴と礼讃

    文化・芸能以外の分野で「守破離」を目にすることが増えたような。 既存の型を守り、型を破って外に出て、型を離れて新たな型を生む。 そんな「守破離」はどこからやってきたのか? 世阿弥の「風姿花伝」の一節が関連づけられることが多いみたい。 「一切の事に序破急あれば、申楽もこれに同じ。能の風情を以て定むべし。」 ただこの時すでに「序破急」は雅楽の楽章を表す言葉として定着。 世阿弥も公演構成の「序破急」を述べているだけだ。 一文字「破」が重なるだけで、世阿弥は「守破離」を説いていない。 もちろん内容的に「守破離」を語ってる部分は「風姿花伝」にありそうだが。 しかしそう捉えてしまうと、道元や夢窓国師の禅にも守破離は説かれている。 では一体誰が「守破離」を持ち出してきたのか? 「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても を忘るな」 これは千利休が茶道の心得を和歌にしたという利休百首の1つ。 型を

    守破離の来歴と礼讃