ここ数日、大量に以下のようなメールが寄せられました。「お前の記事は自殺を促進させている」 「社会の責任に転換して若者自身のためにならない」 「悲しい気持ちでますます鬱になる」等私としては、自殺をする一歩手前の若者達を思いとどまらせるために書いたものであり、とてもやるせない気持ちになりました。しかし、万が一にもこのブログで自殺をする事を促進させるような事になっては『本末転倒』と判断し、ブログは閉鎖することにしました。支持してくれた方には申し訳ありません。最後になりますが、今でも..
何か言ったりやったりすると突っ込まれ、失敗が許されない家庭で育ってしまうと、失敗したらもう自分は相手に失望されたものと思い込むようになる。より深刻な場合は、自分が失敗したこと自体を「なかったこと」にしてしまおうとするようになる。そのために、取り繕ったり場当たり的な言い訳をしたり、事前にどうとでもとれる曖昧なことを言っておいて、後から「そういう意味で言ったんじゃない」と、失敗を回避できるようにしておく癖がついてしまったりする。 本人にその自覚がある場合はまだマシだが、失敗自体を「黒歴史」として、記憶を捏造してしまったりする人の場合は、自覚がない。こうなると、結果的に嘘をついたり相手のせいにすることになる。だから、不誠実で無責任な人になってしまう。 失敗が許される家庭に育つと、自分が失敗したことを認められる。だから、挽回したり謝ったりできるようになる。失敗した時の「気持ち」を受け止めてもらって
「新人が育たない」「同じ人がずっと管理/運営をし続けている」という話(悩み)を聞く事があります。 この話を聞く度に、教育や引継ぎは時として非常に難しいと思うとともに、失敗できる時代を生きれた人はある意味幸せなのではないかと思う事があります。 ある特定の作業がインフラ化する前から色々と出来た人は、恐らく様々な実験を行いながら経験を積んでいます。 失敗が許される環境、許されない環境 インフラ化する前であれば「失敗」が許されます。 失敗をする事は良いことではありませんが、それによって誰かの人生が終わるぐらいの事にはなりません。 大目玉を喰らって激しく落ち込む程度で済みます。 しかし、利用者が多くなり、インフラ化すると実験をする事は許されなくなり、無難に運営する事が第一になってしまいます。 自由に楽しく学ばせる事よりも監視下で失敗をさせない事に主眼が置かれがちです。 自由に楽しく学ばせるための箱庭
webサービスとしてのcoco、また株式会社cocoに少しでも関係された方には読んでいただきたいです。 本来であれば少しでもご支援頂いた方には直接お詫びすべきところなのですが、その時間も精神的余裕もなく、とりあえずこのブログでご挨拶させていただこうと思いました。 題名の通りなのですが、cocoというサービスを法人として全力で運営することを一旦ストップすることになりました。詳細は後述します。 ご支援頂いた方、また何よりメンバーとして3ヶ月間活動してくれた方々の労力をほとんど無に帰すような形にしてしまい、申し訳なさと情けなさで一杯です。小さい組織ながらも自分のリーダーとしての圧倒的な力不足等、自分の至らなさを何度もつきつけられた3ヶ月間でした。 また、会社関連だけでなく、個人的にも2013年3月⇛4月への移り変わりには重要な変化があり、大学同期が立派な会社で新生活を始める中で僕も違う生活が始ま
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