1952年 李承晩、平和線を宣言:東亜日報(韓国語) 1952年に入ると日本の漁民らは、4月28日を指折り数えて待った。米サンフランシスコで日本が連合国側と第二次世界大戦終結のため1951年9月8日に締結した講和条約が、その日に発効するからだった。日本を占領した米国のダグラス・マッカーサー将軍は、日本の漁民らが本土周辺の決まった線を超えて操業することができないようにした。「マッカーサー・ライン」と命名されたこの線は、講和条約発効と同時に廃止されることになっていた。 1952年1月18日。100日後には日本海は日本漁民らの畑になるところだった。まさにこの日、海の向こうの、戦火に包まれた大韓民国の臨時首都釜山から、青天の霹靂のようなニュースが飛び込んできた。大韓民国の李承晩大統領が、「確定した国際的先例に基づき、国家の福祉と防御を永遠に保障しなければならない要求によって」、海岸から50~100