安倍晋三首相は政権発足以来、中国による尖閣諸島(沖縄県石垣市)への海と空からの圧力を受けながら、国家安全保障会議(NSC)を設立し、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈で抑止の強化を図ろうとしている。 そして、沖縄県の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事と会談して米軍普天間飛行場の辺野古移設にめどをつけた。首相はその直後の政権1周年に、靖国神社に参拝し、一つの「けじめ」をつけた。 想起するのは1951年9月のサンフランシスコ講和条約締結後に、靖国を参拝した吉田茂首相のことであった。吉田は講和条約に調印して1カ月後、衆参両院議長と全閣僚を伴って靖国に赴いた。戦争で命を落とした英霊に対し、日本が独立を果たしたことを報告するためだ。 吉田にとってはそれが戦後史の転換点に立っての「けじめ」であった。 安倍政権がまとめた国家安全保障戦略の積極的平和主義を「21世紀におけるアジア史の転換点になる」と