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王家に関するrikuzen_gunのブックマーク (2)

  • 古代エジプトと王朝の区分 ―全32王朝は「実は分けすぎ」。

    古代エジプトの王朝区分の話。 古代エジプトの王様たちは、「第xx王朝xx代目」のように数えられることがある。王朝番号は、ペルシャ支配時代を入れて31、最後にプトレマイオス王朝をいれた32というのが一般的だ。エジプト史を昔からやってるひトにとっては、この区分は馴染み深く当たり前だ。ところが、中国史をやってる人からこう言われた。 「なんか王朝おおすぎね? そんなに頻繁に変わってたんか」 …言われてみれば、その通りだ。 中国にしろ他の国にしろ、「王朝」が変わるということは、王家や、場合によっては支配民族が変わることを指し、そう簡単に変わらない。 結論から言うと、古代エジプトの場合、王家や支配民族の変化はほとんどない。 「王朝」が切り替わるタイミングの大半は、なぜそこで切り替わっているのか良くわからんのである。 そもそも現在使われている「王朝」区分は、紀元前3世紀のエジプト人神官マネトーさんの使っ

    古代エジプトと王朝の区分 ―全32王朝は「実は分けすぎ」。
  • 秦の「三世」 - gurenekoのメモ(終活中)

    一年前、T_S氏の秦王子嬰の正体に関する一連の考察(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100502/1272727354・http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100503/1272817126・http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100506/1273072210)と、nagaichi氏による子嬰の正体に関する諸説の整理(http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20100504/p1)とを、拝読した。 日はこの問題について最近自分が思いついた事を書く。 T_S氏は、ブックマーク(http://b.hatena.ne.jp/T_S/20100504#bookmark-21287945)で、「始皇帝の弟」と「始皇帝の孫」というかけはなれた説が一つの書に共存している事に疑問を呈し、「「秦王子嬰」として知られる人

    秦の「三世」 - gurenekoのメモ(終活中)
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