適当に北部尉に任じたり、 ベットごと引きずりだしたり、 つい左遷しちゃったり、 思わずクーデターして、 逆に弑殺されて、 ムリヤリ禅譲なんてこともあったけど、 (元熙二年)晉帝は王(劉裕)に禪位し……是において陳留王虔嗣等二百七十人、及び宋臺羣臣、並びて上表して(受命を)勸進す。(『宋書』武帝紀中) (永初元年)劉裕は帝(司馬徳文)を以て零陵王と為し、秣陵に居せしむ。(『晋書』恭帝紀) 420年、晋の恭帝司馬徳文が位を譲ったことにより晋王朝は滅亡します。 即位した劉裕は「二王の後」の礼に従い、司馬徳文を零陵王、曹虔嗣を引き続き陳留王として遇します。 こうして曹操と司馬懿以来、実に200年以上の腐れ縁はふたり仲良く劉宋の賓客となったのでした。 曹虔嗣は曹操から数えて十代目。*1 司馬徳文は司馬懿から数えて十八代目。*2 お互い漢の臣として始まって、巡り巡って、よくもまぁここまで辿りついたもの