すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig 転生モノ、現世に戻りたがってないのは「創作史上の必然であるが自然な心理状態ではない」と思ってたけど、よく考えると戻りたがるのは子供の発想だよな。大人なら実家と縁を切って都会に出て新しい家庭を持ったりするんだから。そこで出世したら戻りもしないだろう。
ちくま新書『ウクライナ戦争』の著者・小泉悠氏が、戦争について、人間について、悪について、子供たちについて、その本質を率直に語った貴重なエッセイ。PR誌「ちくま」1月号より緊急転載いたします。 戦争という現象にはいろいろな顔がある。直接の戦争経験を持たず、軍事オタクとして生きてきた筆者が戦争と聞いてまず思い浮かべてきたのは、「戦闘」だった。巨大な軍隊同士が火力や機動力を発揮して敵の殲滅を目指す暴力闘争。これは間違いなく戦争の一つの顔ではある。 しかし、12年前に子供を持ってから、戦争の別の側面を意識するようになった。子供という、この弱くて壊れやすいものを抱えながら生きていくということは、平時の社会においてもなかなかに緊張を強いられるものがある。すぐに熱を出す、とんでもないことで怪我をする、迷子になる。そういう子供との暮らしに、爆弾が降ってくるのが戦争である。あるいは、子供に食べさせるものがな
Melville @MelvilleTw Twitterにはリプライ欄をリプライ欄だと思っている人間と、リプライ欄をコメント欄だと思っている人間がいることを理解しなければならない Melville @MelvilleTw これに対する僕の見解ですが、機能に対する理解が人によって違うのはUI設計が悪いです(つまり悪いのはTwitter) その上で、我々使用者側としては解決しようがない問題なので、無駄な衝突を避ける自己防衛として「そういう認識の差がある」ことを知ろうという旨のツイートでした Melville @MelvilleTw これはまた違う話ですけど、 引用RTもリプライも、投稿主に通知を飛ばすという点では共通しているのに、そこを使い分けることが多くのユーザーにとって"投稿主に配慮したことになっている"のは興味深いですよね
フリーアナウンサー長谷川豊の人工透析患者に対する暴言が問題になった。彼は「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!」「無理だと泣くならそのまま殺せ!」とブログに書き、厳しい批判にさらされた。 病気やけが、障害などのリスクは万人が直面する問題である。いくら健康に気を使っていても、突然病気にかかる可能性はなくならず、今日と同じ明日を迎えられるかは、常に不透明だ。そのような身体の不順やリスクに対して、原理的な自己責任論を適用してはならない。自分で治療費を負担できない人間は生きる価値がないという結論を導くことになり、最終的に公助や共助の対象となる人間は「不要な存在」と見なされかねない。生命に優劣をつける発想は、おぞましい優生思想を生み出す。 今回の暴言を目の当たりにして想起したのは、石原慎太郎の過去の発言である。彼はかつて「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」と述べ
一部のIT企業を除き、大半の企業がITのレベルが低い。 これの原因はとても簡単で、IT=簡単に何でもできるものみたいな思い込みがあるからだ。 AIが凄いなどと言われているが、そのAIを作っているのは人間であることを当然理解していない。 単にAIというものが超自然的に作られているかのような事を言い出す老人などが該当する。 若者にしてもITに触れあわなかった人が多いので、AIって言うので人間みたいに色々やってくれるものと思っている。 酷い人だとSF作品のようなAIがもう既に世の中に出回っていると思い込んでいる。 予測に従って動いているとは思わず完全に自我があるかのような扱いをされることすらある。 そんな人はいないと信じ込みたいし、質の悪い冗談だと思いたいが、そういう輩はいる。 ハードウェア音痴に関してはよく性能を知らずに安いからと購入してあまりの動作の遅さに騙されたと言う人もいる。 ソフトウェ
僕はオープンワールドのゲームが好きである。なにせ『fallout76』なんて、発売から既に2年経過したのに、未だにあの世界の広大なアパラチアを徒歩で散策しているぐらいだ。 オープンワールドは最高だ。しっかりと作り込まれた世界を、自分の気が向くままに散歩する。すると「あ、こういうロケーションがあったのか」と新しい発見をすることがある。リリースから2年経ったゲームですら、未だにほぼ毎日そういう発見に出くわす。 あのゲームは気に入った場所に自分の家を建てることができるので、自分だけの絶景スポットとか、水源の近い場所とかにマイハウスを建造し、ひっそり暮らすことも可能。まさしくなかなか自分の戸建てを手に入れることのできない僕みたいな貧乏人にはうってつけのゲームだ。今回はオープンワールド系ゲームの楽しみ方についての話をしていこう。(文:松本ミゾレ) 「マッピングが嫌い」などの声も 先日、2ちゃんねるに
「僕をフォローすれば、お金をあげるよ」と言えば、フォロワーはドバっと増える。 「メディアは第4の権力」と言われるように、フォロワー数は一種の権力だが、金で権力が買えちゃうわけだ。 ただし、自分をフォローした人なら誰にでもお金をあげてしまうと、十分に強い権力にはならない。 「自分の気に入らない人間には、お金をあげないようにすること」が、キモだ。 そうすれば、自分にとって都合の悪いことを言う人間の口を封じることができるからだ。 だから、決して「抽選で」お金を配ってはいけない。 中国共産党が、自分たちの権力を維持するために、共産党にとって都合の悪いことを言う人間の口を封じることに熱心であることからわかるように、自分にとって都合の悪いことを言う人間の口を封じることは、権力維持にとって、非常に重要なことなのである。 お金をばらまけるほどの金持ちの多くは、すでにリアルで権力を握っているはずである。 な
「怪物くん」や「笑ゥせぇるすまん」など、多彩なキャラクターで多くの人を魅了してきた藤子不二雄Ⓐさん(84)。その集大成とも言える展覧会が、東京・六本木で開かれている。これに合わせて、1時間を超えるインタビューが実現。トキワ荘での思い出から、今も尽きない創作への思いまで、漫画界のレジェンドが語ったこととは。(科学文化部記者 岩田宗太郎) 藤子不二雄Ⓐさん(左)と藤本弘(藤子・F・不二雄)さん 藤子不二雄Ⓐさんは、漫画の神様・手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚不二夫などが過ごした「トキワ荘」出身の漫画家で、小学校の同級生だった藤本弘(藤子・F・不二雄)さんと長年にわたってコンビで活躍した。 インタビューのはじめに、トキワ荘での思い出について聞いた。 藤本氏と富山から上京して最初に僕らは両国に下宿したんですけれど、手塚先生のところに行ったら、先生が『トキワ荘を出るから僕のあとに入らないか』と言われて。
蛭子能収 、さくらももこ説明いる?蛭子能収に至っては畜生エピソードがwikipediaにまとめられるレベル。 山本寛説明いる?WUG!がいまいち人気出なかったのもアニメの出来以前にこの人のイメージがちらちらしていたせいだろ。無関係になった二期にも外野からあれこれ言ってたのは腹がたった。 高橋陽一キャプテン翼パチスロ化の際、東日本大震災を口実にした所が嫌い。 パチンコマネーが欲しいならはっきりそう言えばいい。いかにもそれっぽい言い訳で誤魔化すなよ。そもそも全国各地で設置されるのに被災者の娯楽??『今度はぱちんこが友達だ!』のキャッチコピーも最悪。 パチンコに魂を売ったとか下らないこと言わないから。武論尊みたいに大儲けしましたって言えばいいのに。 富野由悠季自分の過去作品を批判するのは勝手だが、それを見ていた、好きなファンまで一緒に貶す意味がわからない。 視聴者を軽視しエゴを通したGレコが「訳
ネット上の言い争いを毎日毎日毎日毎日見ていたら、人間って自分勝手な糞野郎しかいないんだなというのが本当によくわかるようになった。まともな人って全くいない。みんなマウントを取り合って、誰かのことをバカにして、きつい言葉を投げてるだけ。 よくネットと現実は違う、しばらくネット断ちしろとか言う人がいるけど、ネットと現実が違うなんていつの時代の話だよと思う。ネットこそ人間の本音が溢れる場所だ。だからこそ、現状を見ているとただただ絶望しかない。もし自分が神なら全人類をこの世から消し去っていると思うけど、自分は神ではない。となると、最早この地獄から逃れるには自分が死ぬしかないじゃん、と最近いつも考えている。 どうせこんなこと言ったらまた「厨二病かよ」とか言ってバカにされるんだろう。でももう、バカにされようとどうでもいい。自分は本当に人間に絶望しているし、この地獄から消える方法のことばかりを考えている。
遺伝子の差はどれだけの不平等を産んでいるのか『ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで』 双子研究を筆頭に、遺伝子が我々の身体的特徴だけではなくIQや統合失調症などの病気といった数々の要因に深く関連していることがわかってきている。が、そうであるならば遺伝子についての知見を深めることによって政策レベルで活かす──介入したほうがいい人間には介入し、そうでない人間には介入しない──というような形の、オーダーメイド政策はありえるのか。 たとえば、受け継がれた遺伝子的な差異こそが社会的不平等の第一の駆動力なのだろうか。現在の機会均等は主に”勉強ができること”によってもたらされているが、そもそもその能力に生来から違いがあるのだとしたらそれはどれ程の不平等につながっているのか。もしそれが明らかになれば、より適切な平等へ向けて歩み出すことができるかもしれない。これは見方によって
ネットが普及する前は、自分の周囲の人達との付き合いだけで世の中が回っていた。自分と接点のある人の数が今より大幅に少なかったから、憎しみや悲しみに触れる機会にも上限があって、それで心のバランスが保てていたし、自制も出来ていたように思う。その分広い世の中について知るのは難しかったけれど、ネット以前の人間はみんなこうやってバランスをとって生きていたんだと思う。 でもネットが普及して以降、世の中の悲しみや憎しみ、矛盾、他人を傷つける発言、クズのような人間や会社、そういうものに触れる機会が大幅に増えてしまった。他人から攻撃されることが増えたことや、他人を攻撃している人をたくさん見ることによって、「自分も他人を攻撃していいんだ」と思う人が多数派になって、憎しみが溢れる世の中になってしまった。ネットが普及する前の時代に比べ、僕らが外部に発信する憎悪や汚い感情は何十倍にも何百倍にもなっていると思う。昔の人
アスペルガーは天才になりうるが、ADHDは絶対に天才にならないとされる。アスペルガー症候群は、自閉そのものであるから、逆に妙な観察力があったりする。現実が見えてないので内面世界が肥大し、独特の思考が根を張り繁茂するから、正常な人間には盲点である問題に気づくことがある。障害者ではあるが、内面世界の巨人という側面がある。盲人ならではの視点が時として天才を生む。ADHDは同じ自閉症スペクトラムではあるが、衝動をコントロールできないのが根幹問題なので、アスペルガーとはかなり違う。ADHDは精神病とはまったく違う。分裂病的な理性崩壊ではなく、怒りや衝動で我を失うのだ。あまりにも思慮が浅いので、自由意思があるのか疑わしいくらいである。 落ち着きのある人間こそが、本当の意味で強いのである。ADHDの特徴である衝動性と短絡性はほとんどの場合マイナスである。なにしろ自分をコントロール出来ないし、そのバーサー
『繋がったり、溢れたり』 皆様こんにちは! 坂井和奏役の高垣彩陽です。 5、6話…ご覧いただけましたか?! 和奏にとって重要なお話でした。 彼女が抱えてきたお母さんへの想い。和奏の痛みは大きなものでしたが、お父さんの愛情、 そして友達やまわりの人たちの優しさが、頑なだった和奏の心を和らげてくれました。 6話のエンディングで和奏が歌い出すシーンは、まひると和奏の歌声が重なって、 2人が時を越えて歌で繋がったようで、感動しました。 そしてそこに加わる仲間たち!大好きなシーンが沢山で、何度も6話を観てしまいました! 人の繋がりの力を改めて感じる回でした。 先日P.A.WORKSさんの東京スタジオにお邪魔してきました。 お忙しい中皆様にあたたかく迎え入れていただき、有難かったです。 ご厚意で作画さん、美術さんの打ち合わせに少しだけ同席させていただきました。 このシーンで、このキャラクターはどう感じ
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