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2014年3月16日のブックマーク (6件)

  • 「便利」と「快適」を追求しても、「幸せ」は得られない

    http://anond.hatelabo.jp/20140311140955 宮台 「抽象的に言えば、都市からスキマや余剰を消去する動きが、1996年に完成したんですね。 こうした、スキマや余剰を消去する動き、共同体自治の中で是々非々で対処する代わりに、何かというと警察を含めた行政権力の呼出線を使うという、 学問的な言い方をすると「法化社会」の展開が、全国化したわけですよ。法化社会の出発点は、1983年頃です。 1977年に鈴鹿市で、子供を隣人に預けている間に建築現場の池で溺死したことで隣人と自治体と建築業者を訴えた「隣人訴訟」がありました。 1983年の判決では一部を除いて原告敗訴でしたが、それよりも、判決が報じられると同時に原告夫婦に非難の手紙や電話が殺到し、上告取下げに追い込まれたことが重要です。当時はまだそういう時代でした。 ところが、これ以降、判決とは裏腹に、何かというと管理者

    「便利」と「快適」を追求しても、「幸せ」は得られない
  • CBCNET | Topic » 情報統合思念体 荒川智則

    Posted on November 29, 2010(Mon) in: エディターズポスト| Posted by: admin 佐藤雅彦氏の“これも自分と認めざるをえない”展、鈴木健氏の分人民主主義、平野啓一郎氏の小説ドーンなどによって、私たち人間の精神を分割できない「個人(individual)」とするのではなく、さまざまな側面を持っていて相手によって柔軟にキャラを使いわけられる「分人(dividual)」と捕える見方や、そういった心の中にある多様な「属性・ディブ」について考える機会が増えている。 そんな新しい時代がやってきたと思っていたところ、インターネットでは真逆を行くような、でもどこか似ているような、謎のムーブメントが発生していた。それは、たくさんの人が集まって一つの巨大な人格を作りだす「情報統合思念体 荒川智則」というものだ。今回はこの分人主義時代にネット上で発生した謎で新しす

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  • 良いデザイナーはどこにいるか

    早いもので3月半ば、暖かくてナイスな週末でしたが、 今年も確定申告滑り込み、データ入力に忙しい大堀です。 去年会社にしたものの、2013年の半分は個人事業主だったので 封筒にためておいたレシートを打ち込んでいるのですが、 どうしてコンビニで買ったパンツのレシートを保存したのか、 昔の自分をちょっと問いつめたい日曜日です。 経費になるとでも思ったんでしょうか。 さて、今回タイトルにもしましたが、 最近お会いする方々によく言われるんです、 「良いデザイナーがいない、見つからない」と。 一概に”デザイナー”と言っても、分野によって求められるデザイナー像は違いますが、 今回はWebサービスをデザインする”デザイナー”について、スキルと立場の観点から考えてみました。 まず、デザイナーに必要とされる能力について書き出してみます。 a.デザイン思考力 b.プログラミング力(HTML,CSS,JS,php

    良いデザイナーはどこにいるか
  • 自分の「本気」や「努力」は身近な人でさえも全然伝わっていないが、その程度で心が折れているようではダメだ

    【img via Lonely Train Station by WebGregor】 僕は気でブログを書いているし、運営している。2月は毎日平均6記事を投稿。コードも定期的に見直し修正し、サーバーも先日アマゾンに乗り換えて十分に体感できるほどの高速化を実現した。 業であるかのごとく、僕は常に気でgori.meというブログメディアを運営している。ただ、この「気さ」は自分自身が思っている以上に周りは理解していない、ということを改めて痛感する出来事が先日あった。「気」や「努力」は身近な人でさえも全然伝わってない。 ただ、この程度で心が折れているようではダメだ。むしろ、ここで意地を張って負けん気を発揮するべきだ。もし自分のやっていることに誇りをもっているのであれば、その事実を受け止めつつ、これまでと変わらず自分の真剣さが伝わるように直向きに努力するべきである。 身近な人でも「ブログを

    自分の「本気」や「努力」は身近な人でさえも全然伝わっていないが、その程度で心が折れているようではダメだ
  • 感情的に親が嫌いな話

    あまりにも幼稚で誰にも吐き出せないからここに愚痴を書きたい。 どうも僕は両親のことがすごく嫌いらしい。 客観的には良い親だったと思う。私立で大学までだしてもらって、かなりの金額は投資してもらった。 ただ、締め付けがきつかったことを、僕はずっと根に持っている。 高校までは、ゲームの類は禁止、門限は5時、あれをやれ、これをやれと、両親の思う健全な環境に押し込められていた。 小遣いも周囲と比べてとても少なく、バイトも禁止。金がなくて、友だちと遊ぶ際の交通費ですら難儀している有り様だった。 大学にはいってからはその辺りは緩くなったけども、自分の部屋でだらだらしているのが一番好きで、 他にはなにも求めていない様な僕と、外に出て何かをするのが健全と考えている親で、価値観の違いはかなり大きかった。 就職してからも、そのあたりはあまり変わらなかった。 数年前、家を出て一人で暮らし始めた。 自分の好きな様に

    感情的に親が嫌いな話
  • 人生の連続性と目標設定について - わくわくパンダさん日記

    おじさんになると、自分が社会人だから、社会人を主体とした話をしがちになる。社会に出てからが人生番であって学生時代はその準備期間にすぎないとでも言いたげになる。学生時代にそんなふうだと社会に出てから苦労する〜みたいな論調になる。 そういうロジックの人は、幼稚園児には小学校が番だっていうし、小学生には中学校で勉強に遅れるぞみたいにいうし、高校では大学受験を正当化するためにいろんな不合理を押し付けると思う。 東大に入るのを人生のゴールにしないで、そこで何をしたいかを目標にしろみたいにも言いがちだと思う。 東大に入るのが夢でも問題ないとおもう、その先に何をするのかを目標にしろつっても、早かれ遅かれ目標達成したら次の目標立てなきゃならんだけだし、人生は連続していていつか死ぬ— Issei Naruta (@mirakui) August 19, 2011 東大、行ったことないけど、東大に入るの

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