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発達障害に関するrintetraのブックマーク (4)

  • とある友人とのコト - Chikirinの日記

    今日は、15年もの付き合いになる友人について(人の許可を得て)書いておきたいと思います。 彼女は「相手の気持ちを読む」ことがとても苦手で、ものすごくはっきり言わないとこちらの意図を理解してくれません。 彼女といると、よくこういう感じになります。 友人「ちきりん、今度◯◯っていう映画に行こうよ!」 ちきりん「いいよ」 で、映画を観た後にお茶をしながら、 ちきりん「ねえ、今○○の展覧会やってるから今度いかない?」 友人「うーん、あんまり興味ないからいいわ」 同じコトは何度も繰り返されます。 お互いが関心を持つことに誘い、相手がそれに付き合う。 それにより双方の世界や視野が広まり、かつ、時間と空間を共にし続けることで経験や感動を共有でき、お互いへの理解が深まる。 結果として「昔つきあってた人が好きだった歌手やスポーツの大ファンに(自分も)なっていく」ことってあるでしょ? 友人であれ恋人であれ、

    とある友人とのコト - Chikirinの日記
  • 軽度の発達障害の人に対する指導には特殊なスキルが必要

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171119-00050015-yom-soci この記事を読んで暗い気持ちになった。 自分は軽度のアスペルガー(らしい)を部下に持ったが、その指導で疲弊してしまい、感情的に怒鳴ってしまうことが何度もあり、自己嫌悪に陥ってしまっていた。 発達障害の人には、その特性を理解した上での指導をしないと、効果がないし、人ばかりでなく、指導する側も疲弊してしまう。 発達障害への指導は軽度であっても、特殊な訓練というか発達障害への対応の仕方の専門的な教育を受けないと無理だ。特に余裕のない職場だとそうとうきつい。 ・曖昧な事柄は理解できない ・物事の優先順位を判断できない ・一度に複数の事は覚えられない ・自分のやり方を頑なに変えない ・1〜10まで、もしくはそれ以上に事細かに教えないといけない ・応用が全く効かないので、少しでも

    軽度の発達障害の人に対する指導には特殊なスキルが必要
  • 自閉症はなぜ方言ではなく共通語を話すのかーHSPの脳機能との違いを考察する | いつも空が見えるから

    「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」 のこの一言で始まった研究は思わぬ展開を示すこととなりました。 …調査をすればするほど湧いてくる課題、考えれば考えるほど解けない疑問と向き合った結果、方言というローカリティそのものと考えていた問題が、私たちをASDのことばの謎へと誘っていきました。(p246-247) 自閉スペクトラム症(ASD)の人たちは方言を話さない? 弘前大学の松敏治先生のこの不思議な研究について知ったのは、2015年のニュース報道でした。 当だろうかと怪訝に思いつつも、身の回りのアスペルガーの人たちを思い浮かべると、たしかにあまり方言を使わないことに気づきました。 それ以来、この不思議な研究のことはずっと頭の片隅に残っていたのですが、なんと今年になって、一冊の自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解くにまとめて出版されたの

    自閉症はなぜ方言ではなく共通語を話すのかーHSPの脳機能との違いを考察する | いつも空が見えるから
  • 発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠

    精神医療が世の中を変えて、世の中が精神医療を変えていく。 そういう視点で、精神医療と世の中の相互作用を眺めていると、つい、ブロガーっぽいことを考えたくなる。 1.昔の精神医療には「狂気」しか無かった。 「発達障害」も「社交不安性障害」も「境界性パーソナリティ障害」も昔は存在していなかった。今日ではよく知られている心の病気が出揃ったのは、20世紀になってからのことだ。 十八世紀には、たったひとつしか心の病気が存在しなかった。狂気 insanity である。狂気という診断が意味していたのは、今日の臨床家が精神病という語で意味しているもの、あるいは口語的に「狂った crazy 」と言われているものだった。「狂気」とは、多くの場合妄想や幻覚を伴ったり、重いメランコリ―や高揚状態を伴うなど、患者が現実となんらかのかたちで接触を失っている状態のことを意味していた。 (中略) 狂気というひとつの病気だけ

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