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ブックマーク / tokigawa.hatenadiary.org (12)

  • 『天体のメソッド』第1話 すべては彼女たちの再会のために - あしもとに水色宇宙

    面白かったので、その感想を。 ストーリー展開はオーソドックスで目新しいものはなかったが、肌理細かい仕事がなかなか良かった。久弥直樹さんの仕事は「sola」しか知らないが、これまた「空」をテーマにした作品。「sola」も7年前の作品だ。 ファーストショット。主人公である古宮乃々香の鼻歌にのせ、画面の大半を占拠する一面のひまわり畑が映し出される。そこから、車で引越し先へと向かう乃々香と父親のショットに切り替わる。 ここでトンネルを通過する描写が挿入される。それは、映画小説によくあるトンネルや洞窟をくぐって、別世界にたどり着くというものだと思うが(日常の世界から非日常の世界へと変わる転換点。まさに円盤が空に浮かぶ街という非日常の世界へと切り替わるわけで)、ここでは、過去と現在を繋げる装置の役割も兼ねているのだろう。乃々香が過ごした7年前と今を繋げて、この物語は始まる。 そして、トンネルを通過し

    『天体のメソッド』第1話 すべては彼女たちの再会のために - あしもとに水色宇宙
    ritoma3
    ritoma3 2014/10/09
  • 『たまこまーけっと』 リアリティとファンタジーの同居 - あしもとに水色宇宙

    『たまこまーけっと』第3話「クールなあの子にあっちっち」までを観て。 第3話で、山田尚子監督がコンテに参加しなくなると第1話・第2話の少女+可愛らしさが急に鳴りを潜めるのが面白かった。ここまで雰囲気ががらっと変わるものなのか。山田尚子監督の独特の少女感って、他の演出家にはうまく真似できないってのが興味深い。 小川太一さんのコンテ・演出が良かった。『中二病でも恋がしたい!』第11話で印象的だった横構図のフルショット・ロングショットが目を引く。別に頻度はそこまで多くないし、他の演出家だってやっていることなのに(第1話・第2話で山田尚子監督もそれなりの頻度で使用している)、小川太一さんの横構図はやけに印象的だ。平面的というか、水平的というか、なんいうか。小川太一さんの横構図には、柵や窓・門の格子などが前景・後景に配置されることによって、横構図をより水平的に見せている感じがする。と云っても、小川太

    『たまこまーけっと』 リアリティとファンタジーの同居 - あしもとに水色宇宙
  • 『たまこまーけっと』第2話 山田尚子監督の映像で語るということ - あしもとに水色宇宙

    『たまこまーけっと』第2話「恋の花咲くバレンタイン」を視聴して、気になった描写があった。 それは、たまこともち蔵が糸電話で会話をするシーン。なぜ、二人は携帯電話や固定電話を使用せずに、わざわざ糸電話で話さなければならないのか。確か、たまこは携帯電話を持っていたはずだ。今時の高校生が、メールも使わずに、あえて糸電話を使う理由とは? ただ単に幼馴染みの男の子と女の子が糸電話で会話をするというモチーフを山田尚子監督がやりたかっただけなのかもしれない(それか、糸の上でモチマッヅィを踊らせたかっただけか)。 ちなみに、糸電話に書かれている文字を見ると、どうやらたまこが作った糸電話らしい。もち蔵の家に糸電話が置かれているのは、たまこの腕力では向かいの家まで、糸電話が届かないからだろう。 糸電話で会話をするのは、二人のやりとりの手際の良さからみると(語尾に無線通話要領である「どうぞ」をつけるなど)、昔か

    『たまこまーけっと』第2話 山田尚子監督の映像で語るということ - あしもとに水色宇宙
  • 『たまこまーけっと』と山田尚子監督らしさ - あしもとに水色宇宙

    『MUNTO』に続く、自社オリジナル作品である『たまこまーけっと』。 第1話「あの娘はかわいいもち屋の娘」は、山田尚子監督らしさが満載の回だった。 『可愛らしさ』が全編に渡って溢れている。それは『けいおん!』のときよりも、積極的に描かれており、『けいおん!』よりも女子っぽさがアップした感じだ。冒頭の北白川たまこと常盤みどりと牧野かんなの下校シーン。光が当たった地面を飛び越えようとする彼女たちの所作。一人一人のジャンプをする時の手の動きや姿勢や着地など、肌理細やかに作られている。牧野かんなが影の手前で着地してしまう描写も良い。ここでは、『けいおん!!』的芝居(一期ではなく二期の方)が採用されている。『けいおん!!』的芝居っていうのは、僕が勝手に使っている造語なのですが、以前の記事で書いたように、登場人物の可愛らしさを最大限に表現するために、記号的な芝居ではなく人物の所作を最大限リアルに近づけ

    『たまこまーけっと』と山田尚子監督らしさ - あしもとに水色宇宙
  • 『中二病でも恋がしたい!』第11話 横構図とカメラの引き - あしもとに水色宇宙

    素晴らしかった。今までの回で1、2を争う出来だ。カット割りもさることながら、レイアウトも良い。 冒頭から痺れた。 アバン。色彩が乏しい世界。灰色の世界の中、眼帯を外した立花が登場する。第11話「片翼の堕天使(フォーリン・エンジェル)」は、全編に渡って他の回より少し色彩が違っている(登校時のシーンや駅のホームのシーンなど)。第1話「邂逅の…邪王真眼」での、きらびやか且つ鮮やかな色彩はどこに行ったのだろう。この少し色彩が抑制された世界はなんなのだろう。それは、秋が過ぎて冬(色彩が灰色に近づく季節)に近づいているからだろうか。いや違う、中二病だった立花の世界は、もっと鮮やかな世界だった。もっと輝いていたのだ。しかし、現実を受け入れた立花の世界の色は、この色彩を抑制した、灰色がかった世界なのだ。 第10話「聖母の…弁当箱(パンドラズ・ボックス)」で立花と勇太が恋人になった際に見た不可視境界線は淡く

    『中二病でも恋がしたい!』第11話 横構図とカメラの引き - あしもとに水色宇宙
  • 『氷菓』 京アニ演出家のスタイルの違い - あしもとに水色宇宙

    『氷菓』第17話「クドリャフカの順番」までを観て。演出家によって、そのスタイルが結構違うなと感じた。 「人物に芝居をさせて表現するスタイル」と「カット割りやレイアウトで表現するスタイル」の二つがあると思った。第17話「クドリャフカの順番」のコンテ・演出を担当した石立太一さんは、後者に該当する。カット割りや構図で表現するスタイル。第17話においての奉太郎と総務委員長・田名辺の会話シーンや摩耶花と漫研の先輩・河内の会話シーンのカット割りなど、人物に芝居をさせて見せていこうというわけでなく、カットを割って割って、会話シーンを作り上げていく。特に、折木と田名辺の会話シーンなんて、ここまでカットを割るのかと思ってしまった(石立太一さんが担当した第3話「事情ある古典部の末裔」の喫茶店における奉太郎と千反田の会話シーンもそれだ)。 レイアウトやカメラワークによって、人物の心情を表現していこうとしている。

    『氷菓』 京アニ演出家のスタイルの違い - あしもとに水色宇宙
  • 『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』 あまりにもかっこよすぎる少女たち - あしもとに水色宇宙

    第11話「決意」 脚/浦畑達彦、コンテ/北條史也・セトウケンジ、演出/中川淳。 熱い、熱すぎる。燃えた。 「痛快」という一言に尽きる回。 もう負けることはわかっている。宮永照の圧倒的な、絶対的な強さにはまったく歯が立たない。足もとにも及ばないほどの力量差。ここで奇跡なんてものが生じるわけもなく、何をどうこうしても勝ち目はない。 勝つことは100%不可能だ。宮永照に勝てるという幻想をもっているほど、彼女たちは愚かではなく、自分の力量と相手の力量を見定められる力を彼女たちはちゃんと持っている。 その時、彼女たちはどうするのか? 負け戦だとわかっている勝負で、どういう答えを出すのか? どうやっても敵わないのだから、立ち向かうのをやめて、被害を最小限にするのか。それとも、ただ呆然と相手のなすがままになるのか。 そう、彼女たちは決意するのだ、立ち向かうことを、諦めないことを。 負けることはわかって

    『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』 あまりにもかっこよすぎる少女たち - あしもとに水色宇宙
  • 『氷菓』 芝居の豊かさと細緻さ - あしもとに水色宇宙

    僕は氷菓の肌理細やかな描写が好きだ。その細かい描写は、氷菓に限らず京アニ作品全般に云えることだが、氷菓はどの作品よりも一歩前に進んでいるように思える。 僕の印象として氷菓は地味目の物語に思える。突拍子もないことが起きるわけじゃないし、派手なアクションがあるわでもない。でも、楽しんで観れるのは、登場人物たちの一つ一つ丁寧に描写された芝居の数々があるおかげだと思う。 特に第5話「歴史ある古典部の真実」の描写が好きだ。 脚/賀東招二、コンテ・演出/三好一郎、作画監督/堀口悠紀子。 第5話冒頭、折木奉太郎と福部里志は雨の中、自転車を押して自宅に帰る。ここで、一台の軽トラックが向かってきて、それを避けるため折木たちは自転車を押すのを止めて道路端に寄り、立ち止まる。そして、彼らはその場で話を続ける。これらの描写は、原作にはない描写だ。原作で軽トラックは登場しない。 なぜ、ここで軽トラックが登場したの

    『氷菓』 芝居の豊かさと細緻さ - あしもとに水色宇宙
  • 『ましろ色シンフォニー』と細末なこと - あしもとに水色宇宙

    第10話までの感想を簡単にメモ。 『ましろ色シンフォニー』では、些細な出来事が登場人物たちに大きな影響を与えているように思える。 例えば、相手を下の名前で呼ぶことがそれにあたるだろう。親しくなったから相手を苗字ではなく名前で呼ぶことは、この作品に限ったことではなく多くの作品で行わられていることだと思う。別にそんな大したことではなく、多くの作品ではさらっと描写されるのだが、『ましろ色シンフォニー』では違う。この作品では相手を下の名前で呼ぶことは特別な意味を持つ。新吾が愛梨やみうや紗凪を苗字ではなく、名前で呼ぶとき大きく事態は進行する。相手との仲が一つ上のステージに進んで二人の仲がギュッと縮まり、他の登場人物は新吾と他の誰かが下の名前で呼び合っていることにひどく動揺する。下の名前で呼ぶなんて、そんな大したことではなく小さな出来事と思ったりするのだが、当の人たちにとってはそうではなくとても大き

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  • 『ましろ色シンフォニー』のメモ - あしもとに水色宇宙

    久しぶりの更新。 今期の作品で気になっているのが、『ましろ色シンフォニー』。 前の日記でも書いたが、第1話「ましろ色の出会い」Aパートでの新吾と桜乃と愛理の三人での携帯電話のやりとりが見事だったので、そこから気になって毎週欠かさず視聴している。後から制作がマングローブだとわかってちょっと驚く。美少女ゲーム原作を手掛けたのが結構意外。 この作品は、男と女が出会って混じり合い、交流を重ねていくうちに、二人の関係はどう変化していくのかということに重きを置いているように思えている。 舞台は、各務台という町。各務台は、裕福層が主に住む「旧市街」と中流層が住む「新市街」の二つの区域で形成されている。新市街に住み、新市街にある「私立各務台学園」に通う主人公・瓜生新吾が、旧市街にある「私立結姫女子学園」の生徒である瀬名愛理と出会うことで物語は始まる。 上述した旧市街と新市街の設定は、男と女の暗喩となってい

    『ましろ色シンフォニー』のメモ - あしもとに水色宇宙
  • 真っ直ぐに走る女の子〜『花咲くいろは』最終話「花咲くいつか」〜 - あしもとに水色宇宙

    走る、電車、直線 最終話を見終えての全体の感想を。 前にも書いたが、松前緒花は物語中ずっと走っている。第1話から最終話まで彼女は全力で走り続ける。『花咲くいろは』の主題は、走ること。ここまで、主人公がずっと走っている作品はそうそうない。 僕は、アニメにおける「走る」っていう行為が大好きだ。走ることのダイナミズムと走ることによる感情の発露。見ていると、胸が熱くなってくる。『時をかける少女』が好きなのも、真琴が「走っている」ことが大きい。 誰かに会うために走る、誰かに追いつくために走る、自分の目標に向かって走る。走る訳は、人それぞれだけど、一生懸命自分の力を振り絞って走る姿は見ている者を感動させる。なぜ、こんなに胸を打たれるのか説明できないけど。 『花咲くいろは』において「電車」も重要な要素の一つだ。電車は、OPにも最終話にも登場する。なぜ、電車なのか。それは、『走る』行為を増幅させるための装

    真っ直ぐに走る女の子〜『花咲くいろは』最終話「花咲くいつか」〜 - あしもとに水色宇宙
  • 『アイドルマスター』第7話「大好きなもの、大切なもの」 舛成孝二と肌理細やかさ - あしもとに水色宇宙

    /土屋理敬、コンテ/舛成孝二、演出/高橋正典、作監/山口智。 『アイドルマスター』第7話「大好きなもの、大切なもの」のAパート、高槻やよいの自宅に我那覇響と水瀬伊織がご飯をべに行く辺りから既視感を覚えた。どこかで見たことのある肌理細かい庶民的な日常描写。「何だろうな」とずっと考えて、ようやく思い出せた。 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』第9話「俺の妹がこんなにエロゲー三昧なわけがない」(脚/伏見つかさ、コンテ/舛成孝二、演出/宇井良和)での黒の自宅シーンにおける見事な日常描写と重なって見えたのだ。第9話「俺の妹がこんなにエロゲー三昧なわけがない」においての生活感溢れる細やかな描写の数々に僕は舌を巻いた記憶がある。もしかしてと思ってEDクレジットを見たら、やはり舛成孝二監督のコンテだった。 人物の細やかな芝居と細部まで行き届いた描写は、見事。こういう細かい所まで想像して描写でき

    『アイドルマスター』第7話「大好きなもの、大切なもの」 舛成孝二と肌理細やかさ - あしもとに水色宇宙
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