登山と嘘は、相性がいい。「疑惑の登山」。世界の登山史の中には、そんな風に呼ばれる記録が散見される。なぜか。登山には審判がいないからだ。登頂したか否かは、言ってみれば「自己申告制」だ。つまり、完全なる性善説に基づいているのだ。だが、人間とは弱い生き物でもある。ときに嘘の誘惑にかられ、そして屈する。自分自身が審判であり、自分自身でルールを設定しなければならない登山という行為は、フェイクが入り込む隙だらけの世界だと言ってもいい。 「山岳警察」と評されることもある山岳ライターの森山憲一氏に古今東西の「疑惑の登山」について語ってもらった。(全2回の1回目/後編に続く) ◆ ◆ ◆ 登山史は性善説に基づいてきた ――最近になって知り、少し驚いたのですが、登山において登頂したかどうかは原則、自己申告なわけですよね。登頂を証明するためにある程度、写真を撮っておくとか、山頂に物を埋めてくるとか、ルールではな