2019年12月16日のブックマーク (4件)

  • 技術カンファレンスにおける同時通訳の手配の仕方 - jollyjoester's diary

    ドーモ、@jollyjoesterです🙏 この記事はコミュニティ•カンファレンス運営 Advent Calendar 2019 - Adventarの15日目の記事です。 インターネッツが発達したおかげで海外の情報を英語のまま学ぶ機会が増えて来ていると思います。 となればその情報を発信している人の情報を生で聞きたいということも増えてきているのではないでしょうか? ここでは海外スピーカーを招聘する際に必要となってくる同時通訳を頼む際のアレコレについて記します。 私はtry! Swift TokyoというSwiftの国際的なカンファレンス(登壇者の7~8割が海外から)や、Mercari Tech Confというメルカリの技術カンファレンス(社内に英語話者が多いため日英サポート必須)の主催をやっていたため、主にその時の経験をお伝えします。 www.tryswift.co techconf.me

    技術カンファレンスにおける同時通訳の手配の仕方 - jollyjoester's diary
    rlho
    rlho 2019/12/16
    この記事があればカンファレンスに同時翻訳が呼べる!便利記事だ!(お金問題は別として)
  • 新規Webサービスを独りで開発・運用する際に立ちはだかった壁とそれを乗り越えた方法まとめ【個人開発】 - Qiita

    その1. そもそもアイデアが思い浮かばない 遭遇確率 :★★★★☆ どんな壁?:いざWebサービスを作ろうとしても何もアイデアが思い浮かばない 解決策:身近な課題をひたすら探す サービスを作る上では何かを解決する系のアイデアであり、かつ自分が当事者であるとモチベーションも続きやすいです。 自分が普段ネットを使っていて不便だと思うこと、今使っているサービスの不満点、などなんでも良いのでとりあえず書き出してみましょう。 大体この中に自分の技術力でも解決できるような課題が存在します。 もし自分の中での課題が見つからないという場合は、日々Twitterのタイムラインで流れてくる身近な人が抱えている課題をピックアップしてアイデア化するのもありです。 回避策:しょぼいアイデアでも日々書き残していく いざサービスを作るというときにアイデアも出ないし身近な課題すら見つからない場合は、普段からアイデアを無理

    新規Webサービスを独りで開発・運用する際に立ちはだかった壁とそれを乗り越えた方法まとめ【個人開発】 - Qiita
    rlho
    rlho 2019/12/16
    肝に銘じる“覚えたての技術の練習場所にしない これは自分もよくやってしまうのですが、エンジニアは何か新しい技術を覚えた際に「せっかくだからこの技術を使ってサービスも作ってしまおう」という考えになりがち
  • 2015夏の終わり、LiSAは僕を「ずっと覚えている」と言った - WETな備忘録

    愛すべき後輩が死んだ*1のはまだ寒さの残る3月のことだった。特別仲良くはなかった彼の死は、僕にとっては非常にショッキングな出来事で、死というものを、決してセンチメンタルな方法ではなく、いたって無機質にそして深く考え始めるきっかけとなった。 彼の死からいく日か経って、実家に帰ることがあった。実家と言っても、一人暮らししているアパートから自転車でも30分ほどの距離で、いつものようにスーパーで半額の刺身を買って、実家で父と酒を飲んだ。僕の親父はもう70に差し掛かろうとしている立派に初老は過ぎた男性だが、体は丈夫で、僕に似て酒が好きだ、僕が似たんだけど。親父と酒を飲みながら、そういえば、高校のアメフト部の後輩が、この前死んで、まあ病気だったらしいんだけど、死ぬまで僕は知らなくてさ、などと彼の話題になった。「アイツとは高校以来ほとんど会ったことが無かったから、僕はアイツが高校生のときのイメージしかな

    2015夏の終わり、LiSAは僕を「ずっと覚えている」と言った - WETな備忘録
    rlho
    rlho 2019/12/16
    “いつ死ぬかわからない我々なのに、人の人生を生きるのは極めて滑稽じゃないですか。僕の人生は今にでも終わる。そう思って、僕は僕自身の残り少ない人生を生きることにしました。”
  • 無能な同僚と働くということ。 - WETな備忘録

    君へ、 つい最近まで、南米で3ヶ月ほどデータエンジニアとして仕事していた。Tシャツで帰ってきて震えた。寒くて。 僕にとって2019年は、あんまりいろんなことが無かったくせに、いや糞ヒマだったからこそ、いろいろ考えることが多い1年だったと思う。最後の3ヶ月以外は、基的にヒマだった。 過去に僕はベルリンで1年ほど働いていたこと*1があり、まあ結論からいうと音を上げて、日に逃げ帰ってきた。何がそんなにしんどかったかというと、ベルリンは十分英語で生活できるとはいえ、ドイツ語関連のトラブルシューティングに付き合ってくれるドイツ人の友人を作ることができなかったというのが大きいが、そういう人間関係を構築することが出来なかったことも含めて、当時所属していた会社の上司および同僚と上手くいかなかったのが致命的だった。 とくに、エンジニアの同僚氏、つまり君は、まったく許せなかった。 あれからもう3年も経ち、

    無能な同僚と働くということ。 - WETな備忘録
    rlho
    rlho 2019/12/16
    刺さるねえ… “無能は僕だったのだ。一人で勝手に大変ぶって、チームに悪者をつくりあげて、それを解決することで自分がいかに貢献しているかを見せびらかしていたのだと思う。君が僕を揶揄した「heroism」というのは