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2007年6月11日のブックマーク (5件)

  • asahi.com:模倣、どこまで許される ドラえもん「最終話」 - 文化一般 - 文化・芸能

    模倣、どこまで許される ドラえもん「最終話」 2007年06月09日11時55分 人気漫画「ドラえもん」の「最終話」と称する物語が無断で漫画化、出版された一件は「作者」の男性が小学館と藤子プロに謝罪し同プロに売上金の一部を支払うことで決着をみたが、課題も投げかけた。模倣やオマージュ作品がどこまで許されるか、という点だ。 男性が無断で出版していた「ドラえもん」の「最終話」 「最終話」は約1万3000部も販売したことで著作権者側が見過ごせない「一線」を越える結果になったが、一方で、物と間違いかねないほどの出来ばえでも「一線」を越えていた。 読んだ人の中には、原作品への敬意や愛を感じた人も少なくなかったようだ。プロの漫画家からも「絵だけではなく、テーマや展開も藤子・F・不二雄さんの思想を受け継いでいる」という声が出ているほど。もし出来が悪ければこれほど売れることもなかったかもしれない。 好きな

    rocoroco3310
    rocoroco3310 2007/06/11
    うーん売れるか売れないかは売る前には判断できないから、何となく歯切れが悪い対応。苦慮の末なんだろうな。作品はよく出来ていておもしろかった。フィクションをもっと強調すればよかったのか?
  • 「大ウソ」つきまくった末 さくらパパ出馬会見

    「さくらパパ」こと横峯良郎氏が民主党から夏の参院選に出馬することを表明した。これまで、参院選挙出馬を「ありえない」と散々否定し、ウソをついてきた「さくらパパ」だが、会見では「正式に発表したかっただけ」と居直った。 ずっと前に、民主党選挙パンフ案出来上がっていた 横峯良郎氏(47)は2007年6月11日、地元鹿児島で小沢一郎代表と出馬表明の会見を行ったあと、同日午後に都内のホテルでもう一度出馬会見を行った。横峯氏は冒頭、 「やっと決心しまして、夏の参議院選挙に民主党から出させてもらいます。出るからには当選するのが当たり前のことなんですけど、頑張りますんでよろしくお願いします」 と参院選に臨む決意を表明した。さらに、 「おかげさまでいろんなテレビとかに出させてもらって、顔も名前も売れてきました。タレント候補とか言われるじゃないですか。私はそうじゃないと思うんですね」 と早々に自身は「タレント候

    「大ウソ」つきまくった末 さくらパパ出馬会見
    rocoroco3310
    rocoroco3310 2007/06/11
    単なる票集めのために、何の信念も思想もなさそうな「タレント」を起用するのはいい加減やめにしてもらいたい。居酒屋の雑談ならもうお腹いっぱい。
  • 『14歳レベルくらいにはなりたいものです。』

    相変わらず少年の事件が起きると、「ゲーム」とか「マンガ」のせいにされてたりしてるね・・・。うーん、今どき、部屋のなかに「ゲーム」も「マンガ」もない子がいたら、そっちのほうが驚くんだか。例えば「日文学全集」とかあったほうが驚くんだけど(笑)。そしたら「日文学全集のせいだ」とかいうんだろうか? さてと、日がPISAの学力テストが「落ちた」ということで、「学力低下」だと騒がれてたんだけど、それを以前エントリーで取り上げたことがあります。 http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016028633.html http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016182461.html 「落ちた」といっても、人口規模が大きい国のなかで、トータルしてみればトップクラスであるというのを前提で読んでね(つまり日の子供たちは相対

  • 『豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと - michikaifu’s diary』へのコメント

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    『豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと - michikaifu’s diary』へのコメント
    rocoroco3310
    rocoroco3310 2007/06/11
    ある特徴を、できない、足りない、劣っているとジャッジする権力の正体は何だろう。そうジャッジされた人が自己肯定感を持つためにはそのジャッジが最終審級じゃないことを知るべきだと思った
  • モテへのアドヴァイスは恋愛至上主義に加担するのか? - G★RDIAS

    みなさんからの多数のコメントなどを参考に、再度、モテについて最初から考えてみる。 まず、人は恋愛する必要はない。モテる必要もない。私はそのように考えている。だから「恋愛できない男は、男じゃない、一人前ではない」という思想(恋愛至上主義)を私は否定する。もしそれが日社会を分厚く覆っているのならば、それは解体されるべきである。これが私の基スタンスなので間違わないようにしてほしい。 そのうえで、「恋愛したい」「モテたい」と心から思っている男の子に対して、私はアドヴァイスをしてあげたい。(これはモテなかった若き日の自分自身に対するunfinished businessという意味もあるのだろうと私は思っている) まず第一に、「モテ」の概念を転換しておきたい。一般には「モテる」とはいろんな女にちやほやされて恋愛・性愛しまくれることだと思われている。私はこれを「モテ」という言葉では呼ばない。なぜなら

    モテへのアドヴァイスは恋愛至上主義に加担するのか? - G★RDIAS
    rocoroco3310
    rocoroco3310 2007/06/11
    なぜこの文脈で障碍を持ち出すのか全く意味不明。自説の証明のために軽々しく「同じ」などと言って全く別次元の事を持ち出さないでほしい。ひどく乱暴でむちゃくちゃな論理。