東日本大震災の津波により大きな被害を受けた石巻市立大川小学校の校舎。先月、33年の学校の歴史に幕を下ろす閉校式が行われ、校舎は「震災遺構」として保存される(写真:PIXTA) 裏山は生徒にとって馴染みのある場所だったはず 東日本大震災から7年。筆者は震災以降、被災地では主に、学校管理下で児童74人、教職員10人が津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の惨事を取材してきた。 新北上川を遡上してきた“川津波”と海岸から押し寄せた津波がぶつかるように小学校を襲ったのは、地震発生から約50分後の午後3時37分頃のこと。校長は不在だった。 学校現場からの生存者は、わずかに児童4人と教員1人のみ。いまなお、行方不明のままの子どもたちもいる。 子どもたちが待機していた校庭のすぐ裏手には、小走りなら1~2分で逃げられる山があった。その山には、かつて子どもたちがシイタケを栽培していたり、授業で使われたり